日本租界時代は繁華街、現在は美食街、南は再開発と変化に富んでいます。
- 4.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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by 中国の風景さん(男性)
上海 クチコミ:1241件
通称日本租界の乍浦路は南を北蘇州路の乍浦路橋から始まり、北四川路の裏道として武進路までの長さ1038m、幅8〜19mの路です。租界時代北四川路は上海の三大商店街の1つに数えられ、その脇道の乍浦路は歓楽街(映画館、広東料理屋、広東の、2階建ての茶屋、広東妓楼、日本料理屋、浴室、妓楼、欧人妓楼、美容院、マッサージ院、ダンスホール)となっていました。共同租界の北端の海寧路あたりは旅館街で売春宿も多かった。当時映写機が発明され映画館が建ち並び映画街も出来た。現在も現役の映画館と映画館だった建物や映画館跡地の石碑が現存しています。共同租界の北端の海寧路から北は工部局(租界の役所で政治、経済、警察全て)が勝手に租界を(1864年〜1904年の間)段階的に武進路まで広げて通称日本租界の繁華街になりました。乍浦路の武進路辺りには日本人の為のお寺として西本願寺と東西本願寺を開きました。現在でも西本願寺の建物が残っておりナイトクラブになっています。現在の乍浦路は上海の美食街を形成して繁華街になっています。近年再開発や公安の規制で美食街・屋台村も減って来ています。通称日本租界の名残りを1番色濃く残している路が乍浦路です
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- 四川北路駅 南京東路駅
- 景観:
- 4.0
- 租界時代の建物、美食街
- 人混みの少なさ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2015/10/02
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