奎章閣 (キュジョンガク) 闕内各司にある2代目の奎章閣
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- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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by konomiさん(女性)
ソウル クチコミ:329件
ソウルには3つの奎章閣があります。
一つは秘苑に、一つは闕内各司、もう一つはソウル大学内に新設されたもので、現在古文書を保管する機能はここに移っています。
昌徳宮の闕内各司内にある奎章閣(キュジャンガッ)は内閣とも呼ばれ、検書廊の西にある建物。
李氏朝鮮の王立図書館に相当する機関で、初め正祖即位直後の1776年に後苑に建てられたのですが、あまりに不便だったため1781年(正祖5)に王宮に近い昔の都総部の建物に移されました。
歴代王の詩文と直筆文や王室の各種文書や記録、中国の文献、朝鮮の古文書などを収蔵管理、修復。
また、実学派の文官が文献研究や政策立案を行い、王権確立・改革政治・文藝復興を標榜した正祖の改革政治の中核となった所です。
正祖はそれまでの慣例を破り、庶子出身の両班子弟を登用しましたが、ほとんどが奎章閣の実務者として採用されました。
文芸と学識に優れながら、庶子というだけで活躍の場を見いだせなかった彼らの官職への道を開いた功績は大きいと思います。
朴齊家(パク・チェガ)、李徳懋(イ・ドンム)のような優れた実学者たちがここから輩出されました。
朴齊家(パク・チェガ):(1750~1815)朝鮮時代後期の実学者で北学派の巨頭。
李徳懋、柳得恭、李書九の4人で刊行した「巾衍集」という詩集は清国まで伝わり名声を博し、朝鮮にこの人ありと歌われたそうです。
多くの改革を正祖に進言し、武科にも主席で合格。まさに文武両道の士です。
しかし正祖が亡くなり、純祖が王位に就くと老論派から攻撃され流配。
同じく正祖に重用された丁若(チョン・ヤギョンとも親交がありました。
李徳懋 (イ・ドンム) 奎章閣{の検書官。朴齊家と共に「武芸図譜通志」の本の編纂を担当しました。(1741~1793年)
1781年には別館である外奎章閣が江華島に設けられた。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/06/22
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