広場に建つもう一人のジャンヌ、ジャンヌ・アシェット像
- 3.5
- 旅行時期:2014/08(約10年前)
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by コクリコさん(女性)
ボーヴェ クチコミ:3件
ボーヴェ市役所前にあるジャンヌ・アシェット広場に勇敢な女性の像が建っています。
手斧を持ち凛々しい姿の女性の名はジャンヌ・アシェット。
オルレアンの少女ジャンヌ・ダルクが1431年に処刑され、1453年イングランド軍敗退により100年戦争終結。
その後もブルゴーニュ公国は領土拡大を目指していました。
1472年ボーヴェの町は「豪胆公」と呼ばれたブルゴーニュ公シャルルの軍に包囲され士気を失いつつありました。
要塞が包囲された数日後、ブルゴーニュ軍の兵士の一人が軍旗をかざし塀を乗り越えようとした時、塀の上にジャンヌ・レスネという名前の少女が現われ兵士の旗を奪い堀に突き落とします。
この少女の勇敢な行為がボーヴェの市民の勇気を奮い立たせフランス王シャルル11世の援軍の到着までブルゴーニュ軍を攻撃し続けました。
少女の身に帯びていた小さな手斧(Hachette)からジャンヌ・アシェット(手斧のジャンヌ)と呼ばれるようになります。
感謝の印としてシャルル11世は毎年6月最後の週末にジャンヌを記念した祭りには女性を先頭に行進するよう命じたとのこと。
ボーヴェでは毎年6月末の週末に当時の衣装を着けた人々の仮装行列が行われているそうです。
モチロン先頭はジャンヌ・アシェット。
パリからボーヴェまで列車で1時間半もかかりません。
6月にパリに滞在することがあったらジャンヌ・アシェットを記念するお祭り見物するのも良いかもしれませんね。
それにしてもジャンヌ・ダルクを異端審問で火刑に処したのはイングランド、ブルゴーニュ軍と通じていた当時のボーヴェ司教コーション。
当然ボーヴェにはいられなかったわけで、ジャンヌ・アシェットたちが勇敢に戦った頃コーションは既に死亡していましたがボーヴェ司教は不在、酷いものです。
市民たちの手でボーヴェの町を救ったというわけですね。
ブルゴーニュ公国はこの戦いに敗れ、1477年ブルゴーニュはフランス王領に編入されました。
ジャンヌ・ダルクは火刑され聖女となりましたが、ジャンヌ・アシェットは結婚し母親となり普通の穏やかな人生を送ったらしいです。
ジャンヌ・アシェット広場のジャンヌ・アシェット像は1850年にヴィタル・デュブレーにより作られ、1851年にルイ・ナポレオン・ボナパルト(後のナポレオン3世)により除幕式が行われたそうです。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 4.0
- ボーヴェ駅から徒歩で10分ほど
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/11/29
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