12世紀ロマネスクのステンドグラスがあるというので Eglise Saint-Pierre de Chartres
- 3.5
- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by wiz さん(非公開)
シャルトル クチコミ:4件
シャルトル訪問前に、事前に調べたところによると、フランスに残る ”12世紀ロマネスクのステンドグラス” (※13世紀以降のものは多い。) は、下記に書いたとおりなのですが(有名なもの)・・
その中で、シャルトルには、シャルトル大聖堂(「西正面の三つの窓」、「美しき絵ガラスの聖母」。 ※シャルトル大聖堂のこれ以外はすべて13世紀以降のステンドグラス) より少し早い時期のステンドグラスが、同じシャルトルの サン・ピエール教会 の周歩廊にあるというので、これは行ってみないと・・と思い、ウール川沿いを散歩した後に寄ってみました。
結果、みつけられませんでした。。。
というか、長く続いている シャルトル大聖堂 の修復にお金がかかりすぎているせい?なのか? 原因は分からないですが・・、 同じシャルトルにある ここ サン・ピエール教会 のステンドグラスの状態は痛々しすぎて、悲しくなりました。 探していた12世紀のステンドグラスがあるという周歩廊のステンドグラスは、ところどころプラスチックの板?のようなものがはめられていて悲惨でした。
もしかしたら、今は美術館などで保存されているのか・・。
(※シャロン・シュル・マルヌは博物館にあるみたいなので。)
それとも私が見逃しただけなのか・・。。
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”12世紀ロマネスクのステンドグラス”
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◆印は今回の旅で見てきたもの。
◇印は以前見たもの。
◎西部
1140~45年頃 ル・マン サン・ジュリアン大聖堂 身廊南側廊 「昇天」
1165~70年頃 ポワチエ
サン・ピエール大聖堂 シュヴェ中央の窓 「磔刑」◆
1180年頃 アンジェ サン・モーリス大聖堂
身廊北側 「聖母の葬列と埋葬」
◎イル・ド・フランス(王領の地)
1140~45年頃 聖ベネディクトゥスの昇天を目撃する二人の修道士
サン・ドニ修道院聖堂に由来(クリュニー美) ◇
1145年頃 サン・ドニ修道院聖堂
放射状祭室 シュジェールのステンドグラス◆
1150~55年頃 シャルトル大聖堂 西正面の三つの窓◆
「キリストの幼年時代」 「エッサイの樹」 「受難」
1175年 シャルトル サン・ピエール聖堂 「昇天」 のメダイヨン
1180年頃 シャルトル大聖堂 「美しき絵ガラスの聖母」◆
※サン・ドニは、シュジェール (Suger de Saint-Denis 1081頃~1151 サン・ドニ大修道院長であり、学友のルイ6世と、その子ルイ7世の2代にわたって政治顧問をつとめた。) の時代、さまざまな芸術的傾向が集中した坩堝だった。
◎シャンパーニュ地方
1147年頃 シャロン・シュル・マルヌ 聖エチエンヌ大聖堂 「磔刑」
※シャンパーニュ地方のロマネスクのステンドグラスは様式的にはムーズ川流域に栄えたモザン芸術に属している。
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ちなみに、12世紀の中頃から、シュジェールのサン・ドニ大聖堂を筆頭としてゴシック建築が現れはじめますが、そうしたゴシック建築の構造が建築の採光を変えた時でさえも、ステンドグラスにおいては、ロマネスクの色彩法の原則は踏襲されるケースが多く見られたのだそうです。 サン・ドニのゴシック建築の(放射状祭室の)窓は、なおもロマネスク的な色彩のステンドグラスを受け入れていたのだそうです。 12世紀半ばは、時代的にはロマネスクとゴシックの端境期なので。
※参考: 『世界美術大全集9』 小学館
- 施設の満足度
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3.5
クチコミ投稿日:2014/11/04
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