フランス租界の統括編、東洋のシャンゼリーゼ通り、プラタナスの並木と建物が当時を物語るエリア。
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- 旅行時期:2014/07(約11年前)
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by 中国の風景さん(男性)
上海 クチコミ:1241件
旧フランス租界の歴史から。1842年、清がアヘン戦争に敗れたのをきっかけに、イギリスが中国から上海に土地を租借し、アメリカと共同租界を建設。それに対し、フランスは、1849年独自にフランス租界を設けることになります。1900年、1914年と2回に分けさらに地域を拡張したフランス租界は旧県城の北から西へ崋山路まで拡大されました。現在の淮海中路を中心にインフラ整備を進めていきましたが、1943年中国に返還されることになりました。造られたのはフランス租界が拡大した時期で当初はフランス人の名前が付けられました。1943年フランス租界が無くなり中国に返還されたのを機会に全路改称を行いました。中国の都市名は既に使われている為、各省の県名から命名しました。租界の時代が幕を閉じた後も、そのころの街の様子はほぼそのまま保存され、今なお当時の息吹や記憶はこのエリアに色濃く残っています。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 2日以上
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄駅多い。
- 景観:
- 4.0
- 多くの優秀歴史建築が残る。
クチコミ投稿日:2014/07/15
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