1周4.5kmの城壁の内50mだけ残りました。城壁は倭寇(日本の海賊)から街を守る為と聞き複雑な気持ち。
- 4.0
- 旅行時期:2014/02(約10年前)
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by 中国の風景さん(男性)
上海 クチコミ:1241件
明代の上海県は小さな漁村でした。明嘉靖三十二年(1553)度々の倭寇(日本の海賊)の来襲の被害に対応する為に城壁を建造しました。その規模は城壁は周囲4.5キロ、高さは8メートル。建設当初は、大東門(朝宗門)、小東門(宝帯門)、南門(跨龍門)、西門(鳳儀門)、北門(晏海門)の5つの門がありました。その後小南門、新北門を追加、城壁の外側には広さ6丈(約20メートル)、深さ1.7丈(約5.6メートル)、周囲1500丈(約4950メートル)余りの堀を造った。清朝末期(1923)、上海経済は急速な発展を遂げた。古い城壁は市内の交通を阻害し、経済の発展に影響すると考え、取り壊しました。上海を囲む360年の歴史をもつ城壁は歴史の中から消えました。城壁を崩し外堀を埋め北側を人民路とし、南側を中華路として環状道路となりました。地図を見ると豫園の周りに環状道路が走っています。大境閣内に城壁工事事務所が出来た為この50mだけが残った。1995年大境閣と城壁が補修、保存され観光向けに開放されました。大境閣内に城壁の歴史資料館を設置したが今回は工事中との事で見る事が出来ませんでした。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄老西門駅より徒歩。
- 展示内容:
- 4.0
- 上海の歴史を語る貴重な遺跡。
クチコミ投稿日:2014/04/11
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