花の絶えないお墓
- 3.5
- 旅行時期:2009/09(約16年前)
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by 瑞樹さん(女性)
ブエノスアイレス クチコミ:8件
色々な形のあるレコレータ墓地、その中で一番有名な墓、それは
MARIA EVA DUARTE DE PERON、つまりEVITA、エビータのお墓です。
EVITAとはEVANの愛称。スペイン語圏では女性の場合、語尾をITAにして~ちゃんのように呼ぶことが多いです。FANA(ファナ)→FANITA(ファニータ)ってね。
エビータは云うまでも無く、ペロン大統領夫人。私生児から大統領夫人にまで上りつめた彼女は、女性の地位向上にや慈善活動を積極的に進め、国政への介入もしました。それにより特に貧民層からの支持を集め、その人気は大統領をも凌ぐほどでした。
貧しい農村の私生児5人の内のひとりとして産まれたエビータは、15歳で家出をし、ブエノスアイレスで自らの美貌と性を売り物にモデルや声優、女優として活躍します。
その後ペロンの愛人となり、後に結婚。慈善団体「エバ・ペロン財団」を設立し、労働者用の住宅、孤児院、養老院などの施設整備に務め、また、労働者による募金でミシン、毛布、食料などを配布(その一部は敗戦による困窮状況にあった日本にも送られたそうです)、貧困層の政府の無策に対する不満を逸らすのに大いに役立ちました。
1952年7月26日、子宮癌により33歳の若さで亡くなりました。
貧困者の優遇政策に務め、女性参政権を実現(1947年)、しかし下層階級出身で、しかも選挙で選ばれた訳でもないのに国政へ介入を行っていたこと、自らの自己顕示欲を満たすために国費のばらまきを行っていたことなどから、特にアルゼンチンの知識階級や富裕層、軍上層部からはひどく嫌われ、カトリック信者がその殆どを占める保守的なラテンアメリカの土壌においては、女性としては政治において活動的過ぎる人物と見なす者も多かったそうです。
彼女が埋葬されているのは、ペロン家の墓ではなく、彼女の兄の家の墓である。銘板には「ビアモンテ将軍家 ”エビータ” 汝が国民の魂の中で永遠でありますように」というような意味のことが書かれているそうです。
エビータの墓には、タクシー組合など様々な労働組合から贈られた彼女を称えるプレートがはめ込まれています。権力者の墓で、こんなにプレートがあるのは、エビータだけかも知れません。でも通路が狭いので、ここ、写真を撮るのに一苦労。
彼女のお墓は今でも花が絶えず、また観光客も耐えません。アルゼンチンでは聖エビータという呼称もあるそうですが、そういえば映画「エビータ」のときは、マドンナがエビータ役をやったのでえらい騒ぎでしたね。
アルゼンチン人の有名人に疎い私には、レコレータ墓地は広過ぎました。
因みにエビータはバスク系だそうです。納得。
緑のあるお墓っていいな。お墓に入るなら、私も緑溢れるお墓がいいなぁ。
- 施設の満足度
-
3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.0
クチコミ投稿日:2013/07/11
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