古代都市遺跡クリオン、見逃せません
- 5.0
- 旅行時期:2013/02(約13年前)
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by 地中海人さん(男性)
レメソス クチコミ:4件
ペロポネソス半島北岸から来たアカイア人の植民都市として建設され,紀元前13世紀後半と前12世紀の2回にわたって、ミケーネ文明が進出したことが、後期青銅器時代の特徴を伝える住居遺跡や古代の陶器、装飾品などで判明しており、クリオンは、古いアカイア人の植民都市の特徴的な出土品、ミケーネ文明の文化財が共に見られるという。
ただし、コリントス湾岸やクレタの線文字BやBC1200-800の暗黒時代に言及している書は見受けられません。
ラムセス3世(B.C.1198-1167)の時代、クリオンは地中海世界でもとくに重要な都市として歴史書に名を残し、現在ベルリンの博物館に保管されている石碑には、紀元前709年、クリオンの王は、他のキプロスの6人の王とともに、アッシリア帝国に服従したとされ、紀元前569年には、クリオンも含めキプロスのほとんどが、エジプト王国の支配下に入ったとされています。
前546年ペルシャ帝国に降伏、その後アレキサンダー大王の死後プトレマイオス朝やローマ帝国に併合されていくという、まことに、地中海の覇権の動きの全てに連動していくという歴史を持ち、それゆえ、現在はキリスト教社会とイスラム教社会の境界線を国内に線引きされているという、ギリシャ文明世界の末裔としては、非常な運命、飛び地的な地理的状況にあります。
クリオンは、4世紀後半大地震により壊滅的な打撃を受け、5世紀なかば再建されたが、7世紀中ごろからアラブ人が数回侵攻し、649年破壊された。
現在海を前に広大な丘一体に、ローマ時代の劇場、泉の家、剣士の家などが残り、一部屋根が掛けられ、モザイクが保護されいる。
ここから西3.5キロ地点に、アルカイック時代からローマ時代晩期までの建築、ローマ時代の競技場、アポロの神殿などがあります。
またこの近辺をタクシーで回る途中、サントリーニ島のミケーネ時代の埋没した古代都市の名「アクロティリ」の道路標識を見ました。
ギリシャ文明遺跡マニアは見逃せません。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- バスの便が悪く、タクシーで
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
クチコミ投稿日:2013/03/09
いいね!:2票
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