冷戦終結の場所
- 5.0
- 旅行時期:2009/05(約17年前)
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by dra66さん(男性)
ベルリン クチコミ:3件
親の仕事の関係で、'86~'89まで旧東ドイツのベルリンに住んでいました。日本人学校は無く、東ドイツの小学校1年間と中学校3年間を過ごし、社会主義イデオロギー教育を受けていました。「西側のヨーロッパは私利、私欲、腐敗、浮浪者の自己中心の集合国家」のような内容です。そのためまだヨーロッパの西側の国々には行っていません。
ブランデンブルク門は旧東ドイツと旧西ドイツを分断した門です。当時はこの門から延々とベルリンの壁がありました。'89にハンガリーやチェコスロバキア、東ドイツで民主化運動が勃発し、事態の収拾のためにソビエトのゴルバチョフ書記長(東ドイツではゴルビー)がベルリンに来ました。シュタージの監視下で「ゴルビー、ゴルビー、ハラショー」と連呼したことを鮮明に覚えています。東ドイツのホーネッカ第1書記は失脚だったか逃亡だったか覚えていませんが、ゴルビーでも民主化運動を阻止できず、記憶ではクレンツ第1書記がこの門の開放を決定しました。大多数の東ドイツ市民が西ドイツに押し寄せて収拾がつかなくなり、冷戦が終結しました。その後、ソビエト連邦が崩壊し、東ドイツではホーネッカ第1書記よりも英雄だったゴルビーも失脚しました。
アメリカ、ヨーロッパ、日本の西側諸国の経済衰退で、当時の社会主義の環境で4年間生活したベルリンが懐かしくなり、'09に20年ぶりに訪れました。東ドイツでの生活とシュタージの監視、尾行を経験した当時と比べると驚愕の連続でした。端的に言うと店の数、市民の服装、食べ物、車のすべてにおいて、東の発展がすごいの一言でした。ただし、平等ではなくなり、巨万の富が増えたいっぽう、ホームレスは多くなっています。
東ドイツの中学校で当時は必須だったロシア語を習ったことから、簡単なロシア語は知ってることもあり、'09にソビエト連邦、東欧と言われた国々のロシア、ウクライナ、リトアニア、ベラルース(通過のみ)、チェコ、オーストリア、ハンガリー、ドイツを訪問してベルリンの旧友とも会いました。ドレスデンで夜中飲みながら談義してました。旧友は「社会主義の方が生活が安定していた」と言ってました。チェコ、ハンガリーでも社会主義回帰願望が増えているようです。リトアニアは反ロシア、反社会主義でした。
冷戦終結から20年以上経過して、社会主義が正論なのか民主主義が正論なのか、はっきりわかりませんが、当時受けた社会主義教育は正論もあると感じています。
- 施設の満足度
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5.0
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- 展示内容:
- 4.0
クチコミ投稿日:2012/12/11
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