乃木大将は日露戦争中、金州城で長男を、旅順で次男を亡くした。一万人を超す戦死者を出した戦場です。
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- 旅行時期:2012/04(約14年前)
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by 中国の風景さん(男性)
大連 クチコミ:10件
日露戦争の遺跡ー二〇三高地 現地にある日本語の案内板より
二〇三高地は日露戦争の時に日露両軍が争奪し合っていた旅順西武戦線における主な戦である。旧日本軍が1904年9月19日からロシア軍周陣地を奪い取った後、二〇三高地に向かって総攻撃を行い始め、66日間続いて12月5日にその高地を攻め落とした。当該戦役の中に旧日本軍は一万人以上、ロシア軍は5千人以上死傷した。旧日本軍が二〇三高地を奪い取った後すぐここに重砲観測所を設け、重砲を指揮しながら旅順口を砲撃した。その結果港にあるロシア軍艦は砲撃されほとんど全部沈没した。戦後、旧日本軍国主義の頭である乃木希典は二〇三の(中国語の)音読みによってそれを「爾霊山」と改名した。日本軍の亡霊を供養するために、戦争が残した砲弾の皮と廃棄武器から日本式歩兵銃の銃弾のような形で10.3メートルの高さの「爾霊山」記念タワーを作り上げ、日本の国民を騙している。(原文のまま)
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- タクシーのみ
- 展示内容:
- 4.0
クチコミ投稿日:2012/08/22
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