【バルト三国紀行:美しき中世の街並み】
2009年10月19日(月)~26日(月)
訪問地;
Lithuaniaリトアニア
・首都Vilniusヴィリニュス及び、かつての首都Kaunasカウナス
Latviaラトヴィア
・首都Rigaリガ
Estoniaエストニア
・大学都市Tartuタルトゥ及び、首都Tallinnタリン
<2009年10月22日(木) リガは朝から小雨、時々止む。4~6℃。>
ラトヴィアからエストニアに入る。
この国は人口約135万人(エストニア人68%、ロシア人26%)、バルト三国の一番北に位置し、一番小さな国(北海道の6割の国土面積)である。
エストニア・TartuタルトゥのホテルDorpatドルパットには19:30頃に到着した。
ホテルの名「Dorpatドルパット」はTartuタルトゥのドイツ語、ポーランド語の呼び名である。
この言葉を使用している事に違和感はないのだろうか?!
この町はエストニアで2番目に人口の多い(タリンが40万人、タルトゥ10万人)町だが、首都のタリンが政治・商業の中心であるのに対して、エストニア最古の大学があるタルトゥは学問・文化の中心と言える。
タリンの南180km、南エストニアの中心都市でもある。
【ホテルDorpatドルパット】
Soola 6 51014 Tartu 、Estonia
部屋番号;307号室(3F)
エストニアの第二の都市の中心にある最大のホテル。3星・全205室。
ベッドも寝心地良く、トイレは床暖房。但し、この旅で唯一のシャワーのみの部屋である。
ホテル前はEmajogiエマユギ川(エストニア語で“母なる川”の意味で、全長101km)沿いにあって、たいへん見栄えの良いホテルだ。
<2009年10月23日(金) タルトゥは曇り。~9℃。>
今日の行程はホテルDorpatドルパットを10時にスタートし、タルトゥ市内観光・・・ラエコヤ広場、 悪魔の橋・天使の橋、大聖堂、タルトゥ大学、ヨハネ教会・・・14:05タルトゥを出発し、タリンへ 向かう。途中、Põltsamaa プルツァマーに立ち寄る。=>エストニアの首都タリンに向かう。
(約190km、所要約4時間)
途中立ち寄ったのは、いわゆる古都である。
プルツァマーは、かつての*リヴォニア王国の首都で、王城プルツァマー城はマグヌス王(デンマーク王子のホルシュタイン公)の王宮として使われていたことや、100年前からワインを製造しており、「エストニアのワインの首都」と呼ばれている。
*リヴォニア王国は16世紀後半に現在のエストニアおよびラトビアにあたる地域を領土として主張した名目上の国家である。リヴォニア戦争(1558年~83年:ロシア帝国<=>リヴォニア騎士団及びポーランド・リトアニア共和国、デンマーク=ノルウェー、スウェーデン王国)中の1570年に、ロシアのツァーリであるイヴァン4世(雷帝)が傀儡国として建国を宣言したが、国家としての実態を持つことはなかったと云う。
<Põltsamaaプルツァマーの古城でエストニアワインの試飲>
(15:00~15:45)
バルト三国は北過ぎて葡萄の生産は出来ないから、通常のワインは輸入品である。
この掘割に囲まれた古城にはエストニアワインの醸造所は見ていないが、ワインの試飲と販売所などがある。サクランボ、木イチゴ、リンゴやスグリ、黒スグリの果実でワインを作ると言う。サービスされた美味しいチーズを頂き、二、三種類のワインを飲んでみた結果、黒スグリ一本(41Kr=370円)を購入した。
Põltsamaa プルツァマー城:
【1272年築城。これはプルツァマー川の水を引き込んだ堀をもった水城である。城壁が両側104.5と109mのほぼ真四角に囲み、壁の高さ11m。14世紀の3階建ての修道院、18世紀に建設されたレンガ造りの修道院の塔を持つ。】
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16:00タリンに向かう。Sokos Hotel Viruソコスホテル ヴィルには17:30の到着。予想より早い到着の様だ。