芭蕉が1689年に奥の細道の旅で訪問した五智国分寺 - 上越・直江津 のクチコミ
芭蕉が1689年に奥の細道の旅で訪問した五智国分寺
- さすらいおじさんさん
- 男性 / 上越・直江津のクチコミ : 20件
- 旅行時期 : 2009/04(約17年前)
国分寺は741年、聖武天皇(しょうむてんのう701?756年)の命で各国に建てられた官寺で、新潟県上越市の五智国分寺(ごちこくぶんじ)は居多神社(こたじんじゃ)とともに海岸近くにあったと推定されており、上杉謙信(うえすぎ けんしん1530?1578年)によって現在の地に1562年に再興されている。
山門には1835年作の仁王像ががあり、境内には本堂、三重塔、1693年建立の経蔵、親鸞(しんらん1173?1262年)が流罪中、過ごしたといわれる竹之内草庵あとに建てたという親鸞堂などがある。
親鸞は上陸後、一説には頸城郡郡司の荻原民部少輔年景の館近くの竹之内草庵で約1年間を過ごし、国分寺裏門近くの鏡ヶ池に自らの姿を写し描いた御真影(自画像)を浄信房に託したといわれる。越後国の国府での親鸞の住居の場所や行動については諸説あり真偽はわからないが、親鸞がこの地で7年間過ごし苦難の中で布教を行った重要な地であることは確かだ。
五智国分寺には芭蕉句碑「薬欄に いずれの花を くさ枕」がある。芭蕉は1689年に奥の細道の旅で五智国分寺、居多神社などを訪ねており薬園の草が秋で美しいが、どれを枕としてここに旅寝しようかと、主人・高田の医師細川春庵への挨拶・感謝の気持ちを詠んでいる。また、直江津では「文月や六日も常の夜には似ず」文月(ふみづき?7月)の六日は七夕の前夜で、常の夜とは違うようだと詠んでいる。
芭蕉も親鸞ゆかりの古跡を訪問したかったのだろう。
アクセス,―――JR直江津駅から頚城自動車バス春日山下経由高田中央病院行きで6分、バス停:五智国分寺裏門下車、徒歩すぐ
- アクセス :
- 3.5
- JR直江津駅から頚城自動車バス春日山下経由高田中央病院行きで6分、バス停:五智国分寺裏門下車、徒歩すぐ
- 人混みの少なさ :
- 4.0
- 見ごたえ :
- 4.0
- バリアフリー :
- 3.5
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