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吉井勇寓居地(よしいいさむぐうきょち)碑が建てられている宝青庵(ほうしょうあん・通称紅葉寺) - 八幡・城陽  のクチコミ

吉井勇寓居地(よしいいさむぐうきょち)碑が建てられている宝青庵(ほうしょうあん・通称紅葉寺)

満足度: 3.5

さすらいおじさんさん 写真

さすらいおじさんさん
男性 / 八幡・城陽のクチコミ : 77件
旅行時期 : 2013/04(約13年前)

吉井勇寓居地(よしいいさむぐうきょち)碑

吉井勇寓居地(よしいいさむぐうきょち)碑

  • 吉井勇寓居地(よしいいさむぐうきょち)碑
  • 宝青庵(ほうしょうあん・通称紅葉寺)

歌人で劇作家の吉井勇(よしいいさむ1886?1960年)は、1945年10月から1948年8月まで、孝子夫人と八幡市八幡月夜田(やはたつきよだ)の宝青庵(ほうしょうあん・通称紅葉寺)で暮らした。この間吉井勇は松花堂で谷崎潤一郎、志賀直哉、梅原龍三郎などと親交を深めていた。
宝青庵(ほうしょうあん・通称紅葉寺)の山門前には吉井勇寓居地(よしいいさむぐうきょち)碑が建てられている。
 吉井勇は東京に生まれ1905年、「明星」に歌を発表後北原白秋らと「パンの会」を結成し耽美派文学の一翼として多彩な活動を展開、1909年には森鴎外監修のもと石川啄木らと「スバル」を創刊し第一歌集「酒ほがひ」で歌壇的な地位を得た。歌業を中核として、戯曲、小説、随筆、歌謡と幅広いジャンルにわたった活動を続け多くの著作を残している。
八幡市に居を構えた吉井勇は八幡の風物や暮らしを詠んだ歌500首が収められた歌集「残夢」を創刊し八幡音頭の作詞もしたそうだ。「男山吉井」の地名に八幡の人たちの吉井勇の功績への感謝の気持ちが残されている。 吉井勇が八幡を詠んだ歌には次のような作品があるがいずれも八幡の地への愛情と郷愁があふれる歌だ。

昭乗といへる隠者の住みし蘆 近くにあるをうれしみて寝る
松花堂好みの露地幾うねり 郁子の雨にも濡れにけるかも
しばらくは石の燈篭の八幡形 ながめてありきわれを忘れて
八幡なる泉之坊につたはれる この襖絵の幽玄を見む
女郎花塚のあたり雲雀鳴き 夕日のなかを雲水の来る
蘆を刈るころ越路よりうつり来て すでに六月の月夜田の里
安居橋はおもしろき橋太鼓橋 人のわたればとどと鳴る橋
霜しろき圓福寺道をかへりゆく 僧の痩肩寒げなるかな
包み背に水月庵の老尼がゆく 夕道やすでに凍てたる
石清水八幡みちを往くときは 雄ごころ起る何か知らねど
聴くほどに心かそけし松花堂 すむしあたりの松風の音
盆をどり今日は都々城か太鼓の音 遠く聞こえて蟋蟀(こおろぎ)の声
あはれなる女身を投げ死にきとよ 放生川のいにしへあはれ

アクセス : 
3.0
人混みの少なさ : 
4.0
見ごたえ : 
3.5
バリアフリー : 
3.5

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