京都・八幡の淀屋辰五郎旧宅跡(2007年7月7日) - 八幡・城陽 のクチコミ
京都・八幡の淀屋辰五郎旧宅跡(2007年7月7日)
- さすらいおじさんさん
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- 旅行時期 : 2007/07(約19年前)
京都・八幡の淀屋辰五郎旧宅跡(2007年7月7日)
飛行神社の近くに淀屋辰五郎(よどやたつごろう1684?1717年)の旧宅がある。
5代目淀屋三郎右衛門(廣當、通称辰五郎)は1702年に莫大な淀屋の家督を引き継いだが1705年、淀屋は闕所(けっしょ)となり財産をすべて没収され、大坂から所払いとなった。その理由は「町人の身分に過ぎた振る舞いがあった」というもの。確かに辰五郎は1年半で1万貫(約100億円)も遊興費を使ったそうだがそれは口実と見られている。豪商淀屋の大名貸しは現在価値120兆円と言われ幕府は諸大名の窮状を救うために淀屋をつぶしたと考えられている。
闕所、所払い処分を受け入れた淀屋辰五郎は1709年に江戸に潜伏し、1715年、日光東照宮100年祭の恩赦で初代淀屋常安が徳川家康から拝領した八幡の山林300石が淀屋に返還され1716年に辰五郎は八幡の淀屋辰五郎旧邸跡の碑が建っている所に戻った。門は当時のものとのこと。だが淀屋辰五郎は、1年後の1717年には35歳で死去、男山の神應寺墓所に葬られた。士農工商時代の徳川幕府の横暴ぶりを物語っている。大名達は淀屋のおかげで藩の経営ができていたのだが、商人は武士には勝てなかった。
京阪電鉄八幡駅より南東に徒歩5分安居橋(あんごばし)を渡って30m。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10163155/
(写真は淀屋辰五郎旧宅跡)
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- 人混みの少なさ :
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