通りかかる人も少ない隠れスポットで、「尾山神社」や「鼠多門」のすぐそばにあります。
- 3.0
- 旅行時期:2024/03(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
金沢 クチコミ:36件
「甚右衛門坂下の伴天連屋敷跡」へのアクセスは、「JR金沢駅東口」からバスに乗り、バスは「武蔵ヶ辻・近江町市場」停留所に停まるので下車した後、バスの進行方向と逆方向に30mほどもどると、一つ目の信号(表示名「南町」)があります。そこを右折し、220mほど進むと突き当りが「お堀通り」になります。左折して、150mほど進むと右手に「甚右衛門坂下の伴天連屋敷跡」の説明板と「甚右衛門坂下」の石碑があります。
「金沢城」には、一般人の立ち入りが禁止されている「甚右衛門坂」という坂があります。「金沢城」は江戸時代には前田家の居城でしが、それより前の戦国時代には本願寺方の「尾山御坊」と呼ばれていました。「甚右衛門坂」の名前の由来は、天正8年(1580年)に織田方の武将である「佐久間盛政」の攻撃を受けた時に、本願寺方の「平野甚右衛門」が奮戦し討死した場所であったためにこの名がついたそうです。この金沢城西側と城下をつなぐ「甚右衛門坂」下周辺には、宣教師屋敷である「伴天連屋敷」が数多くあったそうです。説明板によると丹波国守護代内藤家出身の「内藤如安」や、「宇喜多秀家」に仕えていた「浮田休閑」など、「高山右近」を頼って金沢に来たキリシタン武将や加賀藩士が集まっていたのではないかといわれています。「高山右近」は、キリシタン大名として知られ、6万石の大名になりながら、「豊臣秀吉」による天正15年(1587年)の「バテレン追放令」により追放されてしまいました。そんな「高山右近」を客将として迎え入れたのが、「前田利家」でした。「高山右近」は武将として優れ、築城の名人でもありま、金沢城下の整備にも関わりました。そして、江戸幕府によって出された慶長19年(1614年)の「キリシタン禁教令」によって、「内藤如安」は「高山右近」とともにマニラへ、「浮田休閑」は津軽に流され、その地で人生を終えたとされていそうです。実は、「金沢城甚右衛門坂」周辺は、坂の立ち入りが禁止されていることもあり、通りかかる人も少ない隠れスポットです。「尾山神社」や「鼠多門」のすぐそばなので、訪ねてみたいかがでしょうか。
01_【「甚右衛門坂下の伴天連屋敷跡」の一口メモ】
所在地…〒920-0937 石川県金沢市尾山町7-41
02_【「甚右衛門坂下の伴天連屋敷跡」へのアクセス】
⑴「城下まち金沢周遊バス」(右回りルート)を利用
・バス乗り場:「JR金沢駅東口」(7番のりば)
・13停留所目(「香林坊(旧日銀前)」の次の停留所) 所要時間約29分
・9時から17時の間に1時間平均4便(始発8:35、終発18:05)
・「南町・尾山神社」停留所で下車し「豪姫住居跡」まで徒歩6分400m
⇒バスは「武蔵ヶ辻・近江町市場」停留所に停まるので下車した後、バスの進行方向と逆方向に30mほどもどると、一つ目の信号(表示名「南町」)があります。そこを右折し、220mほど進むと突き当りが「お堀通り」になります。左折して、150mほど進むと右手に「甚右衛門坂下の伴天連屋敷跡」の説明板と「甚右衛門坂下」の石碑があります。
※ 2024年1月6日(土)から当面の間、「左回りルート」を運休していませんでした。「左回りルート」を利用すると「JR金沢駅東口」から5分ほどです。また、「左回りルート」は、2024年3月16日(土)から土日祝のみ運行しています。
⑵ その他のバス利用で
①「北陸鉄道路線バス」、「西日本JRバス」の「武蔵ヶ辻・近江町市場」停留所から徒歩6分400m
②「まちバス」の「武蔵ヶ辻・近江町市場」停留所から徒歩6分400m
③「金沢ふらっとバス此花ルート」の「近江町市場・市姫神社」停留所、「金沢ふらっとバス長町ルート・材木ルート」の「武蔵ヶ辻・近江町市場」停留所から徒歩6分400m
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 「南町・尾山神社」停留所で下車し「豪姫住居跡」まで徒歩6分400m
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 立ち寄るひとはほとんど見かけませんでした。
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2024/03/26
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