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堀部安兵衛武庸之碑

名所・史跡

堀部安兵衛武庸之碑 施設情報・クチコミに戻る

堀部安兵衛は、けんか安兵衛とか大酒呑みのイメージがありますが、実は柔和で小貞実な人物だったそうです。

  • 3.5
  • 旅行時期:2024/01(約2年前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

日本橋 クチコミ:4件

「堀部安兵衛武庸の碑」へのアクセスは、東京メトロ日比谷「八丁堀駅」のA4出口を出て、進行方向に直進すると40mほど先に信号(表示名「八丁堀」)があります。横断歩道を渡り右折し、50mほど「八重洲通り」を直進すると、「亀嶋橋」の手前(西詰)の左側に「堀部安兵衛武庸の碑」があります。
「堀部安兵衛武庸の碑」は、地元の八丁堀一丁目町会が昭和44年(1969年)8月に建立したものです。「堀部安兵衛武庸の碑」を読んでみると、「堀部安兵衛」が京橋水谷町の儒者である「細井次郎大夫家」に居住したという記載があります。これをもとに京橋水谷町に「堀部安兵衛」が住んだことがあるということで、この記念碑を建立したのでしょうね。ただし「京橋水谷町」というのはここではなく、現在の銀座一丁目にありましたが、火事になり、享保4年(1719年)に八丁堀に移転になりました。ということは、「赤穂義士」の討ち入り、切腹後になっていましますが、「八丁堀一丁目町会」の方々は水谷町の故地、京橋水谷町に「堀部安兵衛」が住んだことがあるということで、おそらく「堀部安兵衛武庸の碑」を建立したのでしょう。
「堀部安兵衛」は、寛文10(1670)年5月に、越後の新発田藩士であった「中山弥次右衛門」の長男として生まれました。「中山安兵衛」は、14歳のときに、父親の「中山弥次右衛門」が浪人の身となってしまい、中山家の再興を志し、江戸へ旅立ちました。牛込町天龍寺(新宿区納戸町)に居住。江戸での「中山安兵衛」は、江戸随一といわれた「堀内道場」で剣術を学び、師範代を勤めるほどになりました。また、堀内道場の同門で、伯父と甥の義を結ぶこととなる「菅野六郎左衛門」や高名な儒者となる「細井広沢」とも親交を深めたそうです。元禄7年(1694年) 2月2月11日には、歴史的にも名高い「高田馬場の決闘」を繰り広げました。元禄7(1694年)6月には、赤穂藩士「堀部弥兵衛」が養子に迎えたいと訪ねて、「堀部弥兵衛」の娘「ほり」と結婚して「堀部安兵衛」がここに誕生したのです。「堀部安兵衛武庸の碑」には安兵衛の略歴と法名が刻まれています。

01_【「堀部安兵衛武庸の碑」の一口メモ】
所在地…〒104-0032 東京都中央区八丁堀1丁目14-7

02_【「堀部安兵衛武庸の碑」アクセス】
①JR京葉線「八丁堀駅」B1出口から徒歩4分280m
②東京メトロ日比谷「八丁堀駅」A4出口から徒歩2分130m

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅

クチコミ投稿日:2024/02/04

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