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永代橋 施設情報・クチコミに戻る

"江戸時代には悲惨な事故があった橋です。現在の橋はドイツのルーデンドルフ橋をまねて造りました。

  • 4.0
  • 旅行時期:2024/01(約11ヶ月前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

日本橋 クチコミ:4件

江東区佐賀にある「永代橋碑」についての情報を発信していきます。「永代橋碑」へのアクセスは、 東京メトロ東西線・都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」3番出口を出て右方向に道なりに700mほど直進します。「福島橋」を渡り、その先には「永代橋」があります。「永代橋」の手前に「地域安全センター」があり、「隅田川」に降りる階段があります。階段を降り隅田川沿いに上流の方向に150mほど歩くと右手に「永代橋碑」があります。
「永代橋」の歴史を紐解いてみると、「永代橋」はもともと、江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」の50歳を祝し、元禄11年(1698年)に深川、永代島方面へと渡る「深川の渡し」に架けられたのが、初代の「永代橋」です。関東郡代の「伊奈忠順」が工事を担当し、「上野寛永寺」の「根本中堂」の造営した際の余材を使っています。「永代橋」の名前の由来は、徳川の世が末永く続く」ようにと、実際には「永代寺・富岡八幡宮の鎮座する永代島に渡る橋」という説があるそうです。「隅田川」にかかる「永代橋」は、元禄11年(1698年)に開通し、江戸随一の長さを誇り、富士山をはじめ眺望がよく、錦絵にも描かれる優美な橋でした。そして、現在では、「清洲橋」とともに「隅田川」を代表する美橋として有名な「永代橋」は、大正12年(1923年)の関東大震災後の「帝都復興事業」として、大正15年(1926年)に完成しました。「全長」は185mの「タイド・アーチ橋」で、ドイツのライン川に架かっていた「ルーデンドルフ橋」をモデルに、「隅田川」の入口に「帝都の門」にふさわしい男性的なデザインとして存在感を誇ってきました。ちなみの、上流に位置する「清洲橋」は、優美な下降曲線を描く女性的なイメージで造られたそうです。竣工当時は佃橋方面まで見渡せる眺望が評判でしたが、現在は佃島の高層ビル群がバックにそびえ、夜ともなると夜景が「摩天楼のよう」と話題になっています。日没から21:00まではライトアップされ、また新たな鋼材を使うことで、100.6mという最大スパンを実現した「鋼アーチ橋」として、平成12年(2000年)に土木学会の「第1回土木学会選奨土木遺産」に選定されました。平成19年(2007年)には、「勝鬨橋」、「清洲橋」とともに国の「重要文化財」に指定されています。しかし、「永代橋」には悲しい過去もあります。それは、江戸時代まで遡ります。11年ぶりに催された文化4年(1807年)8月19日の「深川富岡八幡宮」の大祭で多数の死傷者がでたことです。将軍の世子たちの乗った御座船が「永代橋」の下を通過する間の通行止めが解除され、一斉に群衆が橋を渡ったとき、橋の中央付近が崩れ落ちました。多くの人が転落し、一説によると溺死者は480人という江戸始まって以来の大惨事となりました。今のライトアップされた美しい光景から想像することができませんが、そのような悲しい過去もあったのも事実です。そう思って「永代橋」を眺めると違った「永代橋」が見えてきます。

01_【一口メモ】
所在地 〒135-0031 東京都江東区佐賀1丁目1

02_【アクセス】
東京メトロ東西線・都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」3番出口から徒歩12分950m

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.0
東京メトロ東西線・都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」3番出口から徒歩12分950m
見ごたえ:
4.0
橋の上から眺める隅田川と両岸の景色が素晴らしかったです。川の流れは変わりませんが、両岸は著しく発展しています。

クチコミ投稿日:2024/01/27

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