発祥の地碑の向こうには、今でも大きなセメント工場が稼働しています。
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- 旅行時期:2024/01(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
木場・東陽町・清澄 クチコミ:8件
江東区の「本邦セメント工業発祥の地」についての情報を発信していきます。「本邦セメント工業発祥の地」を訪れたのは2023年2月14日です。「本邦セメント工業発祥の地」へのアクセスは、東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄大江戸線「清澄白河」のB1出口を出ると「清洲橋通り」になります。右方向に道なりに進みます。5つ目の信号を左折し、150mほど直進し、最初の角を左折し、50mほど進むと右手に「本邦セメント工業発祥の地」の石碑や創始者の像があります。
「本邦セメント工業発祥の地」は、日本で初めてのセメントを作り上げた工場があった場所です。「本邦セメント工業発祥の地」敷地には、創始者である「浅野総一郎」の像と海中に沈められた初期に作製した防波堤の基礎部分のコンクリートがそのままの形で展示されています。これが約150年前に作製されたものとは思えないくらい現状を留めています。創始者の「浅野総一郎」の像は、温和な表情で未来を見つめている感じがします。現在の高層ビル群を予見していたのかのような優しい眼差しです。歴史を遡ってみると明治8年(1871年)に、工部省が、ここで本格的なセメント製造に成功しました。それまでは、高価な外国製のコンクリートを輸入していたのですが、外国品と遜色のない、国産のセメントを作りあげました。そして、明治16年(1883年)に創業者の一人である「浅野総一郎」が払い下げを受け、その後民間初のセメント工場として発展しました。ちなみに、当時の国産のセメントの製造方法は、すぐそばの隅田川、仙台堀などの泥土を原料の一部として使い、試行錯誤の上、外国品と遜色のない、国産のセメントを作りあげました。現在のセメントは、山で採掘した石灰石と粘土類を粉砕し、1400度で焼成し、誕生したクリンカー(焼塊)を再度粉砕して製造していますが、明治時代に官営工場が採用したのは、湿式焼成法。消石灰と周辺の隅田川の河底泥土を原料に、撹擾池と呼ばれる池中で6:4の割合で混合、水を加えて攪拌し、微粒の混じった泥水を沈殿池に送って沈殿させ、スラリー(沈殿した泥)を乾燥させ、レンガ造りの徳利窯で焼成して、ようやくクリンカー(焼塊)が生み出されるという、手間隙かかる方法だったそうです。
01_【「本邦セメント工業発祥の地」の一口メモ】
所在地 〒135-0024 東京都江東区清澄1丁目2-8
02_【「本邦セメント工業発祥の地」へのアクセス】
東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄大江戸線「清澄白河」B1出口から徒歩10分750m
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 穴場のスポットです。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 石碑の後ろには、巨大なコンビナートのような工場があります。
クチコミ投稿日:2024/01/27
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