新大橋は関東大震災と東京大空襲にも耐え、橋の上で多くの人の命が助かったため、別名が人助けの橋です。
- 3.5
- 旅行時期:2024/01(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
日本橋 クチコミ:4件
「旧新大橋」は、現在の「新大橋」より200m下流の「清洲橋」寄りに「新大橋」が架かっていました。「旧新大橋」は、隅田川に架かる3番目の橋として元禄6年(1693年)12月に、「墨田川」に架設起工しました。わずか、52日間で完成し、「長さ」が百間、「幅員」が三間七寸ありました。この橋の架設により 江戸市中との交通が便利となり 深川の発展に大きく影響しました。そして、「旧新大橋」のできた経緯は、江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」の生母「桂昌院」が、「隅田川」に橋が少なく不便を強いられていた江戸庶民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられ、西岸には「水戸藩御用邸」、東岸には幕府御用船「安宅丸」の係留地を橋詰としていました。また、当時、橋名は「両国橋」を「大橋」と称していたので、この橋を「新大橋」といったそうです。また、「松尾芭蕉」は「深川大橋」が建設中に、「深川大橋半ばかかりける頃 初雪や懸けかかりたる橋の上」という句を詠んでいます。また、「松尾芭蕉」は、橋の完成をみて「ありがたや いただいて踏む 橋の霜」の句を詠みました。「松尾芭蕉」も橋の完成が気になっていたのでしょうか。その後、「新大橋」は幾度となく架けかえられましたが、明治45年(1912年)7月19日に、現在の位置に鉄橋の「新大橋」が架橋されました。この鉄橋の「新大橋」は、大正12年(1923年)9月1日の午前11:58に発生した「関東大震災」と第二次世界大戦の東京大空襲(1945年)にも耐え、橋の上で多くの人の命が助かったため、「人助けの橋」といわれるようになりました。そして、昭和52年(1977年)3月27日に現在の橋に架けかえられました。また、その鉄橋の一部は、愛知県犬山市の「明治村」に保存されているそうです。
01_【一口メモ】
所在地…〒135-0006 東京都江東区常盤1丁目6-9
02_【アクセス】
⑴ 都営大江戸線「森下駅」A1出口から徒歩5分350m
⑵ 都営新宿線「浜町駅」A2出口から徒歩9分650m
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 車の通行は激しいですが、観光客はほとんどいません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 橋の上から眺める隅田川と両岸の景色が素晴らしかったです。川の流れは変わりませんが、両岸は著しく発展しています。
クチコミ投稿日:2024/01/27
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