江戸城無血開城に多大な貢献し、江戸市民を戦禍から救った人物で、咸臨丸の艦長でもありました。
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- 旅行時期:2023/12(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
両国 クチコミ:29件
「勝海舟生誕の地記念碑」東京都墨田区両国4丁目の両国公園内にあります。「勝海舟生誕の地記念碑」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の東口を出て左方向に進みます。70mほど直進すると横断歩道があるのでそれを渡り道路の反対側に行きます。左方向に90mほど直進すると「国道14号」(京葉道路)があり、左手すぐに横断歩道がありますので、それを渡り左方向にすすむとすぐ一つ目の角がありますので、それを右折し道なりに80mほど進むと、左手に「両国公園」があり、その中に、「勝海舟生誕の地記念碑」があります。
「勝海舟」は、文政6年(1823年)1月30日、ここ本所亀沢の父の実家である男谷家に生まれ、「山岡鉄舟」、「高橋泥舟」とともに「幕末の三舟」と呼ばれていました。「勝海舟」は、「佐久間象山」に師事し、蘭学を修め、西洋の兵学、砲術、航海、測量法などを学びました。ちなみに、「佐久間象山」は、信濃国(現在の長野県)松代藩士で、幕末の天才と呼ばれた人物です。洋学、蘭学、砲術、造艦、天文、医術、あらゆる分野に最先端の深い知識をもち、当時の日本最高の知識人と言われていました。「佐久間象山」は、神田お玉ヶ池付近に塾を開き、松代藩の江戸藩邸学問所頭取などを務め、嘉永4年(1851年)に、兵学及び砲術を教授し、海防方策の講義などを行う目的で、木挽町五丁目(現在地付近)に「佐久間象山塾」を開きました。何と門下生には、「吉田松陰」、「勝海舟」、「坂本龍馬」、「橋本佐内」、「山本覚馬」ら明治維新に貢献した俊才たちがずらりと並んでいます。そして、「海舟」は号で、佐久間象山直筆の書『海舟書屋』からとったものです。「勝海舟」は、安政7年(1860年)1月に、咸臨丸艦長として邦人の手による初の太平洋横断の快挙をなしとげました。慶応4年(1868年)3月には、高輪の薩摩藩邸において「西郷隆盛」と会見し、江戸城無血開城に成功し、江戸市民を戦禍から救いました。明治政府にも重用され、参謀兼海軍卿・元老院議官などになり伯爵となりました。もし、「勝海舟」がいなかったら江戸の街は戦場と化し、今の東京はなかったかもしれませんね。
01_【一口メモ】
所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国4丁目25-12 両国公園内
02_【アクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」東口から徒歩5分400m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩6分400m
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- R総武本線「両国駅」東口から徒歩5分400m
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 赤穂浪士関連の名所・旧跡と少し離れているので、観光客はいませんでした。のびのび、ゆっくり鑑賞できます。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 観光用の高札なので、説明文を読んで当時の状況や様子を想像するしかありませんでしたが、いろいろ歴史の勉強になり、知識を蓄積できます。
クチコミ投稿日:2024/01/19
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