深々と雪の降る中、討ち入り装束を着た赤穂義士の行列が吉良邸に迫ってきます。
- 4.0
- 旅行時期:2023/12(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
両国 クチコミ:29件
「吉良邸跡」は、墨田区両国3丁目の「本所松坂町公園」にあります。「吉良邸跡」へのアクセスは、JR総武本線「両国駅」の東口を出て左方向に進みます。70mほど直進すると横断歩道があるのでそれを渡り道路の反対側に行きます。左方向に90mほど直進すると「国道14号」(京葉道路)があり、右手すぐに横断歩道がありますので、それを渡り道なりに110mほど進みます。3つ目の角がありますので、その角を右折し、50mほど進むと右手に「本所松坂町公園」があり「吉良邸跡」はその中にあります
「吉良邸跡」は、「忠臣蔵」で知られる「吉良上野介義央」の江戸上屋敷跡です。かつて「吉良上野介」はこの一帯に、東西に「733間」(約134m)、「南北」に34間(約63m)、坪数2,550坪(約8,400㎡)もある広大な屋敷を構えていたそうです。現在の「本所松坂町公園」の面積は、97.56㎡なので、86分の1の規模しかありません。それを考えるといかに広大であったか想像できます。「吉良上野介」が「近藤登之介」の屋敷跡を拝領したのが元禄14年(1701年)9月3日、義士の討入りがあって没収されたのが同16年(1703年)2月4日ですから、実際に住んだのは1年半に満たない短期間でした。「吉良邸」は、最初は「鍛冶橋」にありましたが、元禄11年(1698年)の「元禄の大火」で焼失し、その後呉服橋で再建しました。そして、江戸城「松の廊下」での殺傷事件の後で、呉服橋の吉良邸を召し上げられて、江戸郊外の「本所松坂町」に移っていたのです。「吉良邸跡」の往時を偲ぶ高家を表す海鼠壁長屋門を模した塀と門に囲まれ、「吉良上野介」の首を洗ったとされる「首洗いの井戸」や「供養碑」が残されています。また、公園内にある「松坂稲荷大明神」は、江戸時代はじめに「御竹蔵」の水門内に鎮座した「兼春稲荷」で、討ち入り以後に「吉良邸跡」へ地所清めのために遷座したものだそうです。「本所松坂町公園」、は昭和9年(1935年)に、当地で赤穂義士による仇討ち事件が起こり、その名所を惜しんだ地元の両国三丁目町会有志が発起人となって、邸内の「吉良の首洗いの井戸」を中心に土地を購入し、同昭和9年(1935年)3月に、京都に寄付しました。当時ここは「本所松坂町」と呼ばれていたので、現在は「本所松坂町公園」という名称になっています。
01_【吉良邸跡(本所松坂町公園)の一口メモ】
所在地…〒130-0026 東京都墨田区両国3丁目13-9 本所松坂町公園
02_【吉良邸跡(本所松坂町公園)へのアクセス】
1 電車を利用して
⑴ JR総武本線「両国駅」東口から徒歩6分400m
⑵ 都営地下鉄大江戸線「両国駅」A5番出口から徒歩7分500m
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR総武本線「両国駅」東口から徒歩6分400m
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 赤穂義士のガイドツアーや個人の観光客が結構いました。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 小さいながらも内容が凝縮され、赤穂事件のことがよく理解できます。
クチコミ投稿日:2024/01/18
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