重保の墓と宝篋印塔
- 5.0
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
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by ライナスさん(男性)
鎌倉 クチコミ:5件
北条時政の謀略によって由比ヶ浜で最期を遂げた畠山重忠の嫡子のお屋敷跡とお墓が一の鳥居の横にひっそりとある。石碑には畠山六郎重保の墓、明徳6年(1393年)の銘がある。
重保は年(元久2年)6月22日早朝に由比ガ浜で訳の分からないまま討ち取られ、父である重忠も北条義時らの軍に攻められ武蔵国二俣川(現在の神奈川県横浜市旭区)で討死している(鎌倉殿の13人でも有名になった畠山重忠の乱のシーン)。
石碑は3メートル以上(3.4メートルとか)ある大型のもの。意外に迫力がある。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2023/02/12
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