古代
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- 旅行時期:2023/02(約3年前)
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by じじもこちさん(女性)
関ヶ原・垂井 クチコミ:10件
古代東山道の関所の一つで、現在の岐阜県不破郡関ケ原町にあった、「不破の道」と呼ばれたこの地の東山道に、壬申の乱後に関所として設置されました。
壬申の乱の時に大海人皇子が兜をかけたとされる兜掛石
東海道の鈴鹿関、北陸道逢坂と共に、三関と呼ばれ、壬申の乱の後からおよそ100年の間、治安維持のため畿内と東国との間の通行を厳重に監視した。三関から東は東国または関東と呼ばれていたそうです。
関ヶ原の街中の狭い路地にあり、はじめは関ヶ原の合戦の遺跡と思っていました。
近くには資料館もあります。
関ヶ原と混在しているのが面白いと思いました。
- 施設の満足度
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3.0
クチコミ投稿日:2023/02/05
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