226事件での反乱軍に投降を呼びかける「兵に告ぐ」の原稿や敗戦時に軍との争奪戦となった天皇の玉音放送の録音原盤まで展示をしてある
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- 旅行時期:2022/04(約4年前)
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by ごーふぁーさん(非公開)
三田・田町・芝浦 クチコミ:3件
愛宕山の高台の地の利を生かして、45mのアンテナ鉄塔を備えた東京放送局舎が建てられ、1925年にNHKのラジオ放送が開始された。
現在は放送に関する博物館となっており、ラジオやテレビの放送技術の発展史を実物の機器と詳細解説を追いながら理解できる。
この高台のおかげもあって、関東圏では鉱石ラジオでも相当な範囲でラジオを聴取できたようだ。
また、驚いたのは、ラジオ放送とほぼ同時期(1926年)に、テレビ送受信のブラウン管技術が生み出されていたこと。この研究は戦争で中断されるも、1940年にドラマの実験放送までなされていた。
歴史史料の展示では、226事件での反乱軍に投降を呼びかける「兵に告ぐ」の原稿や敗戦時に軍との争奪戦となった天皇の玉音放送の録音原盤まで展示をしてある。
テレビの本放送が始まったのは1953年。当時の生放送で数々の面白いトラブルがあった。
刑事ドラマでは、生放送にも関わらず役者が途中で犯人の名前を間違え、急遽以降の犯人名の台詞を差替えたり、逮捕時のシーンで使った手錠の鍵をなくし以降の撮影で2人羽織のように相方を隠しながら撮影したり、と。
NHK本体は太平洋戦争前の1939年に愛宕山から内幸町の放送会館に拠点が移る。3階から5階の吹き抜けのスタジオを含め16室のスタジオが完備され、こちらを1973年に渋谷に移転するまで使用した。ちなみにテレビのカラー化は1960年からで、1971年に白黒テレビの契約数を上回っている。
館内3階は技術的な展示で2階はコンテンツの展示となる。朝の連続ドラマの数々、NHK特集の「シルクロード」や「五つ子の記録」などの懐かしいタイトルが並ぶ。「梅ちゃん先生」のタイトルバックはCGではなくリアルジオラマだった。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2022/04/30
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