明治の産業支えた重要な峠道
- 4.5
- 旅行時期:2016/08(約8年前)
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by HIDEさん(男性)
奈川・安曇 クチコミ:2件
山本茂実さんのルポタージュ小説”あゝ野麦峠”を読んでから行きました。
現在では忘れられてしまった野麦街道ですが、かっては多くの女工さんたちが1年間一生懸命稼いだお金を持って、冬の野麦峠を越え故郷に帰るために通ったと思うと感慨ひとしおでした。
文明開化で鉄道、軍艦、お雇い外国人等、すべて金が要る。その金はどこから来たのか?
何の産業もなかった明治時代に最も外貨を稼ぎ国を支えていたのは製糸業でした。
アメリカの生糸相場が猫の目のように替わり、製糸業経営者も”生死業”と揶揄しているほで厳しい業界で夜逃げは当たり前だったそうです。
彼女たちだけではなく経営者も厳しい環境にさらされながら、一人ひとりが一生懸命働いたおかげで現在があると感謝の気持ちで一杯です。
よく哀史といわれますが当時の経験者たちからの聞き取り調査で哀史と言うと、皆怪訝な顔をされたとのことです。現在の私達にとって過酷な環境での仕事でも、彼女たちにとっては、稗、粟しか食べられないほどの貧しい零細農家での生活より良く、生活を向上させるための手段であったと結んでいるところは正直はっとさせられました。
ゆっくりと明治の息吹を感じながら散策出来て良かったです。
- 施設の満足度
-
4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.5
クチコミ投稿日:2022/04/12
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