渋沢栄一は、この屋敷で生まれてはいるが、生まれた建物そのものではない。
- 4.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
-
-
by ワンダラーさん(男性)
深谷・寄居 クチコミ:4件
先日、谷中墓地の渋沢栄一のお墓に行ったら、生家も見たくなって、深谷血洗島まで来た。
生家「なかんち」は想像していたよりも豪農の家屋敷に生まれたようだ。
これは、栄一の父である市郎右衛門(1809頃~1871)が、親戚の「東の家」から男子がいなかった「中の家」に婿入りし、養蚕や藍玉づくりと販売により財をなしたためとされる。
この家の長男として生まれた栄一(1840~1931)は、成人するとともに江戸/東京に出て、あとは妹てい(貞)と婿の市郎(1847~1917)が継いだ。
現在の主屋は、明治25年に火災で焼失した主屋を、市郎夫妻が再建したもので、栄一はこの屋敷で生まれてはいるが、生まれた家そのものではない。生地であるが生家ではない。
規模や間取りに大きな違いはないようにも想像するが。
屋敷は広く、主屋の他に副家や土蔵4棟などがある。裏の川は、物資の輸送に使われていたと想像する。都市化が進んでいて、桑や藍の畑はもちろん、名産になったネギ畑も少ないように感じる。
現在は、広い屋敷の前に、広い駐車場や休憩所/トイレが建ち、NHK効果で賑わっている。
一万円札に顔が出ているうちは、この人気が続きそうに感じる。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2021/10/27
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する