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池袋地名ゆかりの池

名所・史跡

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池袋の地名に関する歴史を学ぶことができました!

  • 3.5
  • 旅行時期:2020/11(約5年前)
hiroさん

by hiroさん(男性)

池袋 クチコミ:33件

『池袋地名ゆかりの池』は、いくつか存在する説の中で「池袋駅」西口エリアとなる豊島区西池袋1丁目に位置する現在の「高級賃貸タワーマンション」敷地内にあったかつての「旧・元池袋公園」に涸れ池状態で残されていた袋型の通称「丸池」と呼ばれる池跡が「池袋」地名の由来のひとつといわれており、その「丸池」の池跡が下水道工事に伴い完全に埋め立てられて消滅したことを偲び、1998年(平成10年)に「旧・元池袋公園」敷地東側に隣接する面積167.98平方メートルの敷地を新たに整備して開園した「元池袋史跡公園」の一画に地名発祥由来を後世に伝えることを目的に建立された石碑として残されています。
ちなみにむかしの武蔵国豊嶋郡池袋村の一帯は、多数の池や川が存在する低湿地の湧き水が豊富な地域であり「丸池」から湧き出た水が当時の「雑司ヶ谷村」の農業用水として利用されるなど「弦巻川」として現在の「雑司ヶ谷」から「護国寺」方面を流れ「江戸川橋」の西側で「神田川」に合流しており、江戸時代に「雑司ヶ谷村」を流れる「弦巻川」の様子は、徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代である1834年(天保5年)と1836年(天保7年)の2回に分けて刊行された江戸府内と近郊(武蔵)の地誌として、寺社・旧跡・橋・坂などの名所が鳥瞰図などを用いながら記録されている「江戸名所図会」(全7巻20冊)において、後半の1836年(天保7年)に刊行された4巻12冊の中に「法明寺」(現住所:豊島区南池袋3丁目)と「雑司谷鬼子母神」(現住所:豊島区雑司ヶ谷3丁目)が描かれている鳥瞰図に当時の「弦巻川」も描かれています。
その後の1932年(昭和7年)になると都市化が進む中での暗渠化工事により「弦巻川」は消滅するとともに「丸池」の水も涸れてしまいました。
そのほかに「池袋」の地名については、室町幕府・第13代将軍「足利義輝」の時代である1559年(永禄2年)に相模国の戦国大名「北条氏康」が作らせたとされる古文書の分限帳(家臣の名や禄高、地位、役職などを記した帳面)である「小田原衆所領役帳」の中に”太田新六郎 知行 三貫五百文 池袋”の記載があり、「池袋」周辺一帯が「太田道灌」の子孫にあたる「太田新六郎(康資)」の所領であったことが確認されています。
『池袋地名ゆかりの池』の石碑がある「元池袋史跡公園」へのアクセスは、「池袋駅」各路線を東西方向に結ぶ3つある地下連絡通路(北通路・中央通路・南通路)の中で「南通路」西口方面にある「ルミネ池袋(メトロポリタンプラザ)」部分のガラス屋根の吹き抜け空間となっている「プリズムガーデン」のエスカレーターを昇り地上に出て正面にある「メトロポリタン通り」を左手方向(南側)に100メートル程度先の信号機のある交差点の一画となる「ホテル メトロポリタン」の向かいにある広場です。
「ホテル メトロポリタン」を利用する際などに「元池袋史跡公園」の前をよく通ることがありますが、今回はじめて足を止めて広場内を見て廻り『池袋地名ゆかりの池』の石碑が存在することを知り「池袋」の地名に関する歴史を学ぶきっかけとなりました。
『池袋地名ゆかりの池』の石碑がある「元池袋史跡公園」は、石碑のほかにベンチと広場中央に池をイメージした舗装とともに夜間にライトアップされるフクロウが宿る雑木林をイメージしたステンレス柱のモニュメントがあるだけのシンプルな広場ですが、機会があれば夜間ライトアップされたモニュメントの写真撮影をしてみようと思います・・・

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
ホテル メトロポリタンの向かいにあります。
人混みの少なさ:
4.0
敷地内に立ち止まる人は殆どいません。
バリアフリー:
4.0
敷地内に段差はありません。

クチコミ投稿日:2021/06/27

いいね!:5

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