小規模な神社ですが宮司さんの取り組みが再度参拝してみたくなるアットホームな神社です!
- 3.5
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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by hiroさん(男性)
池袋 クチコミ:33件
『導きの社 熊野町熊野神社』は、南北方向に通る「山手通り」(都道317号・環状6号線)と東西方向に通る「川越街道」(国道254号)が立体交差する「熊野町交差点」の北西側に位置し、御祭神として「伊佐奈美命(いざなみのみこと)」、「速玉之男命(はやたまのおのみこと)」、「事解之男命(ことさかのおのみこと)」を祀る板橋区熊野町に鎮座する小規模な神社です。
『熊野町熊野神社』の創建年代は不詳ですが社殿によるその歴史は、平安時代・前期「第59代・宇多天皇」〈在位期間:887年(仁和3年)から897年(寛平9年)〉の第8皇子「敦実親王」から数えて14代のちの子孫となる「庭田主水正氏兼」(後に岩田と改姓)が、室町時代前期から中期(室町幕府第3代から第5代将軍)の時代であった応永年間(1394年から1428年)に故あって武州豊島郡中丸村(現在の板橋区中丸町)に移り住んだ際に一族が信仰していた「熊野三山」(「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」)に祀られる神々である「紀州熊野権現」を勧請(神様の分霊を迎え祀ること)したのが創建と伝えられ、安土桃山時代の歴史的な事件として知られる「本能寺の変」から5年後の1587年(天正15年)になると「庭田主水正氏兼」から5代のちの子孫となる「岩田忠経」によって現在の地に遷座(神様の場所を移すこと)したことにより、神社の名称が現在の町名の由来となっています。
江戸時代には中丸村周辺の鎮守として幾度にも渡り氏子によって社殿の造営が繰り返されていますが、1913年(大正2年)に建てられた社殿は「太平洋戦争」下の1945年(昭和20年)5月25日に東京を襲った大規模な空襲により本殿・社務所などが焼失、1948年(昭和23年)に仮社殿が建てられ、現在の本殿・拝殿など主要な建物は1965年(昭和40年)から1968年(昭和43年)にかけて建てられたものになります。
『熊野町熊野神社』へのアクセスは、最寄り駅の東武東上線「大山駅」から徒歩12分程度(約1キロメートル)となり、そのほか東武東上線「下板橋駅」・「北池袋駅」、東京メトロ有楽町線・副都心線「要町駅」、都営地下鉄三田線「板橋区役所前駅」からも徒歩14分から16分程度となります。
「山手通り」(都道317号・環状6号線)を自動車で通ることもあるので『熊野町熊野神社』の存在は以前より知っていましたが、数日前に自動車から境内に”こいのぼり”が吊るされているのが見えて気になっており、今回初めてゴールデンウィークの午前中に東京メトロ「要町駅」方面から徒歩で『熊野町熊野神社』を参拝してみました。
想像していたよりも狭い境内でしたが、小さな”こいのぼり”が境内に沢山つるされており、参拝者も絶えることなく皆さん”こいのぼり”で飾られた境内の写真撮影をしていました。
この”こいのぼり”は、「熊野こいのぼり祭」(端午祭)というイベントで「子供の健やかなる成長・恋愛運の上昇(恋昇り)」を祈願して奉納されたもので見応えがあります。
また境内奥に「伏見稲荷神社」、「厳島神社」、「不動尊」などの小さな祠が配置された「幻想の庭」と称する空間があったり、境内各所に「熊野信仰」の神使とされる「八咫烏(やたがらす)」の可愛らしい小さなキャラクターが配置されており、思わず境内各所を見渡して探してしまいました・・・
(この「八咫烏」は、社務所で”八咫烏おみくじ”として販売されています。)
そのほか境内には”都内最初「厄割良縁石」厄を割って良縁を当てよう!”など参拝者の気を引く掲示物など宮司さんのさまざまな取り組みが感じられ、再度参拝してみたいと思うアットホームな神社です。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.5
- 東武東上線・大山駅・下板橋駅・北池袋駅、東京メトロ・要町駅、都営地下鉄・板橋区役所前駅からそれぞれ1キロメートル以上となります。
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- ゴールデンウィーク期間の午前中に参拝しましたが、参拝者は絶えませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 拝殿の前に数段の石段があります。
- 見ごたえ:
- 4.0
- ”熊野こいのぼり祭”で小さな”こいのぼり”が境内に沢山つるされていました。
クチコミ投稿日:2021/06/06
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