大来皇女のその後を想像する手がかり
- 5.0
- 旅行時期:2020/06(約4年前)
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by しにあの旅人さん(男性)
赤目・名張 クチコミ:1件
小さいけれど充実した展示館と、昌福寺といわれた7世紀末-8世紀初頭に建立されたお寺の遺跡です。
展示館にも複製品が展示されていますが、平安時代長和4年(1015年)ころに書かれた書物「薬師寺縁起」に、
「大来皇女、最初斎宮なり。神亀2年(725年)をもって、浄原天皇(天武天皇)のおんために昌福寺を建立したまう。夏身と字す。もと伊賀国名張郡にあり」
とあり、大来皇女が建立したことは間違いありません。天武天皇を弔うというのは口実で、実際には弟大津皇子の菩提を弔うための寺であることは、「薬師寺縁起」から推測できます。
日本書紀には一切記述がない、大来皇女のその後、とくに晩年を想像する手がかりになる展示館です。飛鳥時代のロマンのかおり豊かな寺院遺跡です。
展示館前に数台分の駐車場があります。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 5.0
- 車なら問題なし
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2021/05/02
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