「春の小川」歌碑から河骨側を遡り、「山谷」の丘斜面
- 3.0
- 旅行時期:2021/04(約3年前)
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by ワンダラーさん(男性)
代々木 クチコミ:5件
文部省唱歌「春の小川」の作詞者として有名な国文学者高野辰之(1876~1947)が、その唱歌発表の1912年の4年前から終戦前の空襲で焼失した1945年まで住んでいたというのがここ。
当時の代々幡村大字山谷一六七番地(現 代々木3-3-2)で、愛娘と散歩したという「春の小川」歌碑からは、河骨側を遡り、「山谷」の丘斜面にあたる。当時は谷間の低湿地は田んぼで、丘の斜面は雑木林や畑、新興住宅が建ち始めていたのであろうと想像する。
(やっと1920年に南側至近距離に山谷小学校が開校したというので、空き地が目立つ新興住宅地であったのであろう。)
現在のJR代々木駅前から西参道に向かう都道に面した北側、妙智会館の東側歩道に、標柱が建てられている。国文学者高野辰之の居住当時の面影は全く見られないのが残念。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/04/15
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