現存する旧・江戸城最古となる建築遺構の城門です!
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- 旅行時期:2021/03(約5年前)
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by hiroさん(男性)
市ヶ谷 クチコミ:9件
『田安門』は、江戸時代初期である徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代に完成したとされる「江戸城」を囲むように整備された外濠および内濠の要所に設置された城門のひとつであり、その中でも「江戸城」と全国各地を結ぶ主要街道に通じる要衝の城門として「江戸五口」に数えられます。
ちなみに「江戸五口」に数えられている城門は、上州道に通じる『田安門』のほかに外郭の正門であった奥州道に通じる「常盤橋門」、将軍が菩提寺である「上野寛永寺」や「日光東照宮」に参詣する際に使用した「神田橋門(芝崎口)」、甲州道に通じる「半蔵門」、小田原道(東海道)に通じる「外桜田門」とされています。
この『田安門』は、「江戸城・北の丸」の北側(外側)に面する「高麗門」の内側に石垣で周囲を囲むよう桝形に積み上げた四角形の空間を配置した西側に「高麗門」と直交する「渡櫓門」が設けられている防御性の高い「枡形門」と呼ばれる二重城門で構成されています。
『田安門』の創建は定かではありませんが、徳川幕府第2代将軍「徳川秀忠」の時代である1607年(慶長12年)に焼失した記録が残されいるほか、徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代である1629年(寛永6年)に越前福井藩主「松平忠昌」によって修覆された記録があり、「高麗門」の扉にある肘壷金具に刻銘されている年代から同じく徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代である1636年(寛永13年)に再建された建造物とされており、現存する旧・「江戸城」の建築遺構の中では徳川幕府第4代将軍「徳川家綱」の時代となる1657年(明暦3年)に発生した「江戸三大大火」に数えられる「明暦の大火(振袖火事)」以前に遡ることのできる唯一の文化遺産であり、1961年(昭和36年)に国の「重要文化財(建造物)」に指定されています。
『田安門』を含む旧・「江戸城・北の丸」エリアは、「日本武道館」・「科学技術館」・「国立近代美術館」などの文化施設を備えた敷地内を1969年(昭和44年)に昭和天皇の還暦を記念して里山の木々などを整備した森林公園となる「北の丸公園」として一般に公開され、『田安門』が「北の丸公園」の「靖国通り(都道302号)」からの北側出入口となっており、通行可能な旧・「江戸城」最古の現存する建築遺構として重厚な城門をいつでも間近で見ることができます。
『田安門』へのアクセスは、東京メトロ・東西線および半蔵門線、都営地下鉄・新宿線「九段下駅」2番出入口から徒歩3分程度(約200メートル)となります。
今回は、九段エリアを訪れた際に久しぶりに『田安門』から「北の丸公園」に立ち寄り、短時間でしたが「北の丸公園」内のモクレンなどの花木を見て廻り癒されました。
地下鉄「九段下駅」から『田安門』に向かう「靖国通り」(九段坂)沿いの「牛ヶ淵」から『田安門』の先に続く「千鳥ヶ淵」の外濠は、ソメイヨシノの花見の名所でもあり、サクラの咲く季節は花見とあわせてな旧・「江戸城」の歴史探訪にお薦めできます。
機会があれば、『田安門』とあわせて同じく「北の丸公園」にあるる旧・「江戸城」城門で国の「重要文化財(建造物)」に指定されている「清水門」にも足を運んでみたいと思います・・・
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄・九段下駅の2番出入口から徒歩3分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 常に人の通りがありますが、日本武道館でイベントが開催されるとき以外に込み合うことはありません。
- バリアフリー:
- 4.0
- 段差はありません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 現存する旧・江戸城最古となる建築遺構の城門で間近で手に触れてみることができる国指定の重要文化財です。
クチコミ投稿日:2021/03/21
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