本覚寺のあたりに建てられた、鎌倉幕府の鬼門の鎮守が起源
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- 旅行時期:2020/07(約5年前)
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by すけさん(女性)
鎌倉 クチコミ:336件
源頼朝が鎌倉幕府を開く際、鬼門の鎮守として、現在の本覚寺境内にある夷堂を建て、これが蛭子神社の起源と言われています。日蓮は鎌倉での布教活動の最後の年(1274年)、この夷堂に滞在して、不況の拠点にしていました。
蛭子神社は、明治に入って神仏分離によって本覚寺と分離し、現在のこの場所に移りました。
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2020/12/01
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