新田義貞戦没伝承地
- 4.5
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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by bluejaysさん(男性)
福井市 クチコミ:2件
新田義貞は、わずかな兵とともに藤島城に向かう途中、燈明寺畷で敵と遭遇し、眉間に矢を受けて死んだとされる。当時は沼地の中に一本道があったようだが、現在は市街地化され当時の様子をうかがうことはできない。
1656年、農民がこの地で兜を発掘し、義貞のものと鑑定された。1660年には、福井藩主松平光通が発見地に「新田義貞戦死此所」と刻んだ石碑を建て「新田塚」と呼ばれるようになった。1870年には、新田塚の近くに義貞を祀る祠堂が建てられ、藤島神社となった。
現代の学者は、兜は義貞のものか疑問視している。天正年間の越前一向一揆に使用されたものが地中に埋もれ、江戸期に発見されたものと考えられている。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- バスの本数は多い
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2020/09/15
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