「弥生式」「弥生時代」の名の謂れ
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- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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by 紅映さん(非公開)
御茶ノ水・本郷 クチコミ:19件
明治17年(1884)、東京大学の3名の人によって、根津谷に面した貝塚から赤焼きの壺を発見し、これが後に縄文式土器と異なるものと認められ、発見地の地名を取って「弥生式土器」と名付けられました。
更に、昭和49年(1974)、東京大学構内の旧浅野地区の発掘調査により、二条の溝と貝層、弥生式土器等が検出されています。
都心部における弥生時代の数少ない貝塚を伴う遺跡として重要であることが評価され、昭和51年(1976)に「弥生二丁目遺跡」として国の史跡に指定されました。
この「弥生式土器発掘ゆかりの地」という石碑は、弥生坂に面した、東京大学農学部と工学部の境にあります。
再度の訪問ですが、改めて太古の昔に思いを馳せながら眺めました。
通りを行き来する人々は、特に足を止めることもなく行きすぎて行きます。
なんでも、弥生という名の地から発掘された土器なので、弥生式土器、弥生時代という名称にしたといわれます。名称の謂れというものは、意外に単純な場合があるのだと感じました。
取材日 2020.9.8
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2020/09/08
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