葛原岡神社の裏山は前方後方墳型をしている
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- 旅行時期:2020/09(約5年前)
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by ドクターキムルさん(男性)
鎌倉 クチコミ:61件
葛原岡神社の裏山は前方後方墳型をしている。昔から古墳ではないかと言われてきており、1/10,000の地図(「街の達人」 MAPPLE社)上では標高90mのラインが160m~170mの前方後方墳型をしている。
1.墳丘の端には積石で崩落を防いでいるように見える。なお、岩に根を張る木々は岩を粉砕して、四角く割れて石垣のようになることがある。
2.葛原岡神社の本宮である鎌倉宮で聞くと、その分野の学者に調査を依頼したことがあるが断られて、これまでに一度も調査は行われてはいないという。
3.「葛原岡」の地名の由来は葛原(かずらはら)親王(延暦5年(786年)~仁寿3年(853年))が祀られているお墓があったためとされる。おそらくは葛原親王のお墓の参道は「源氏山入口」バス停までの道であろうか?
4.日野俊基卿を祀る葛原岡神社は山頂ではなく、くびれ部に鎮座している。
5.海蔵寺の開山和尚も山頂ではなく、「こもれび広場」の端にお墓がある。
6.葛原岡神社の参道は、葛原親王のお墓の参道と重ならないように、社殿横から裏手に伸びている。
もしも、葛原岡神社の裏山が150m級の前方後方墳であれば、国内では二番目の大きさになる。
果たして巨大前方後方墳なのか、単なる山の等高線が前方後方墳型をしているだけなのか?
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- 閉鎖中
- 人混みの少なさ:
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- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2020/09/06
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