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日比谷公園

公園・植物園

日比谷公園 施設情報・クチコミに戻る

日本初の洋風近代式公園です!

  • 4.0
  • 旅行時期:2020/01(約6年前)
hiroさん

by hiroさん(男性)

銀座・有楽町・日比谷 クチコミ:22件

皇居外苑の南側に広がる『日比谷公園』のある地域一帯は、江戸時代を向える以前まで「日比谷入江」と呼ばれる海辺の湿地帯が広がる地形であり、その当時の名残りとなるのが「日比谷」の地名とされており、魚を追い込んだり海苔や牡蠣などを付着させるために竹などを浅瀬の海中に立て並べた漁法の呼び名である「ひび」に由来し、この漁法が盛んに行われていた漁村として「ひび」が沢山立ち並んでいたといわれています。
「徳川家康」が江戸に入府した2年後の1592年(天正20年)になると江戸城拡張(西の丸築城)工事により残土で「日比谷入江」の埋め立てが開始され、さらに「徳川幕府」が誕生した1603年(慶長8年)以降から外濠や運河の開削など江戸の街の大改造に伴い本格化した埋め立て事業により、「日比谷入江」は完全に姿を消しています。
その後、幕末を向えるまでの400年以上にわたり「萩藩・毛利家」をはじめとした大名の上屋敷が立ち並ぶようになり、明治維新後の1871年(明治4年)から1886年(明治19年)までの15年間にわたり「大日本帝国陸軍近衛師団練兵場」が設置されています。
江戸から東京に代わり近代化による開発が進む中、練兵場周辺に新しい建物が建ち始めると「大日本帝国陸軍近衛師団練兵場」が青山に移転され、埋め立て地である軟弱地盤で建物の建築が不適とされていた「大日本帝国陸軍近衛師団練兵場」跡地(敷地面積:161,636.66 平方メートル)については、「日比谷通り」など周辺の道路道路整備と合わせて1889年(明治22年)に『日比谷公園』として整備することが決定され、1903年(明治36年)にドイツの公園を範としながら部分的に日本庭園の手法も加えた日本初の「洋風近代式公園」(洋風7割・和風3割)として開園した『日比谷公園』が、その後の国内における都市公園モデルにもなっています。
『日比谷公園』の園内には、江戸城外郭城門であった「日比谷御門(通称:日比谷見附)」の石垣とともに江戸城中濠の一部が「心字池」として残されているほか、開園当初から開業している老舗洋風レストラン「松本楼」、1905年(明治38年)に初演が行われた国内初の野外音楽堂「日比谷音楽堂(現在の小音楽堂)」、1908年(明治41年)に開館した「日比谷図書館」、1923年(大正12年)に「日比谷大音楽堂(通称:野音・やおん)」が開設されるなど、開園当初から現在に至るまで100年以上にわたり”東京のシンボル的公園”として庶民に親しまれており、2007年(平成19年)に景観法による「景観重要公共施設(景観重要都市公園)」に指定されている都立公園です。
今回は、東京メトロ丸ノ内線「霞ヶ関駅」からJR山手線「有楽町駅」方面に徒歩で向かう際に『日比谷公園』の西側「霞門」から北東側「有楽門」までの公園敷地内を通りました。
『日比谷公園』の代表的な景観として雑誌などメディアで紹介される際の撮影スポットでもある「大噴水・第二花壇」周辺エリアなどが整備工事中でしたが、四季折々の草花や樹木、各種イベントのほかにの各所にさまざまな記念碑などがあり江戸時代から明治・大正・昭和の近代史までの歴史探索などで楽しめる公園です。
以前にも「丸の内音頭大盆踊り大会」のイベントを目的に訪れたことがありますが、機会があれば再度『日比谷公園』の園内各所を廻りながら記念碑など探索をしてみたいと思います・・・

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
東京メトロ:日比谷駅・霞ヶ関駅、都営地下鉄:日比谷駅、JR:有楽町駅から徒歩圏内です。
人混みの少なさ:
4.0
平日の午後でしたが、園内ベンチで休憩したり散策する人がまばらでにいる程度でした。
バリアフリー:
4.0
訪れた際は、大噴水・第二花壇周辺エリアなどで整備工事が行われていました。
見ごたえ:
4.0
今回は園内を通り抜けする目的でしたが、四季折々の草花・樹木のほかに各種イベントや園内各所にある記念碑を散策して楽しめます。

クチコミ投稿日:2020/06/21

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