含蓄に富む場所でした
- 4.0
- 旅行時期:2020/04(約6年前)
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by T04さん(非公開)
関ヶ原・垂井 クチコミ:7件
1600年の関ヶ原の戦いの後、敵味方の別なく首や遺骸を弔った首塚の一つです。紹介文を読むと、かつては高さ1.5メートルほどの円墳であったらしいのですが、現在は風化によって塚の跡はありません。その場所には1817年に関ケ原本陣主であった古山氏が「将来この首塚が丘や谷に変わり果てることのないよう」にと建てた石碑が残されていますが、その懸念は正しかったようです。それは物理的なことだけでなく、敵も味方もなく、人に正しく接することが武士の道であるという教えが江戸時代後期には薄れていたのかもしれませんね。含蓄に富む場所でした。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR「関ケ原」駅から最も近い史跡の一つです
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日の朝ということ、また比較的地味な史跡だからでしょう、どなたの姿もありませんでした
- 見ごたえ:
- 4.0
- 首塚の風化や武士の在り方など、古山氏が碑を建立した意味を理解できたように思います
クチコミ投稿日:2020/05/09
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