路地裏のある平塚の碑の真相は?
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- 旅行時期:2020/03(約6年前)
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by ぬいぬいさん(男性)
大森・大井町 クチコミ:51件
中原街道の平塚橋交差点を多摩川方面に向かってすぐにあるバーミヤンの路地を入ってすぐ左に入ったところに「平塚の碑」がありますが、地元の私もその存在を全く知りませんでした。たまたまバーミヤンで食事をしたときに駐車場の横に「平塚の碑」←とあったので見てみると碑文を見ると「古くは鎌倉へ通じる古道で、江戸時代には東海道の脇街道として往来の盛んであった中原往環(中原街道・相州道)沿いに「平塚」と呼ばれる大きな塚があった。
伝承によると、後三年の役(一〇八三~八七)において八幡太郎源義家をたすけた弟の新羅三郎源家光は奥州からの帰途、この地において夜盗のため多数の部下を失った。その霊を祀ったのが、この塚の由来とされている。
時の流れとともに、この塚は取り壊されたが、地域の人たちによって昭和二十七年(一九五二)三月、「平塚の碑」が建立され、伝承は受け継がれている。」
とあり、どうやら戦後、この辺を整地した際、鎧や兜、刀剣などがたくさん発掘され、付近に住む人々がしばしば不吉なことに出会ったので、新羅三郎源家光の祟りではないか、といわれて、地元有志の手でこの碑が建てられたのだとか。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2020/03/01
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