和銅3年(710年)に都は平城京に移され、その場所の発掘調査により当時の施設の基礎が明らかになっています
- 4.0
- 旅行時期:2019/04(約7年前)
-
-
by 北田辺さん(男性)
奈良市 クチコミ:80件
和銅3年(710年)に都は平城京に移され、現地は奇跡的に広範囲の平地のまま保存されてきた、発掘開始から約30年間懸かった発掘調査により当時の施設の基礎が明らかになっています、基礎跡からはどこにどんな建物がどんな規模で造営されていたか推測しか出来ないようであるが、大極殿、朝堂院、朱雀門、壬生門、式部省、内務省、宮内省、式部省などの位置と規模はかなりの信頼性がある状態で確定している様です、建物として復元されたものは大極殿と朱雀門の二か所(見学可能)広大な面積なので全体は広場としか感じませんが
奈良時代の姿を垣間見ることができます、一寸見るだけでよいのなら近鉄奈良線の大和西大寺駅と新大宮駅間で車内から眺められます、奈良行きの場合進行方向左がよい、ただし朱雀門のみは右になる
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 発掘調査結果に興味がある無しで見応え観が大きく違います
クチコミ投稿日:2019/05/01
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する