西武池袋線・椎名町駅北口の駅前です!
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- 旅行時期:2019/01(約7年前)
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by hiroさん(男性)
池袋 クチコミ:33件
『長崎神社』は、武州豊島群長崎村の鎮守として崇敬されていた神社であり、創建年代は詳らかでありませんが、稲田の神とされる「櫛名田比売命(くしなだひめのみこと)」を祀り、江戸時代前期(第5代将軍:徳川綱吉の時代)の元禄年間(1688年から1704年)に始まったと伝えられている五穀豊穣・疫病退散を祈願して踊る「長崎獅子舞」が、現在も地域の氏子会の方々と地域学校が連携し郷土芸能として伝承されています。
毎年5月第2週日曜日には、『長崎神社』境内や神社周辺地域を廻って獅子舞の力強く大地を踏みしめて土地を清める「ふんごみ」、細長い布を蛇にみたててその退治をする「帯舞」、二匹の雄獅子が一匹の雌獅子をめぐって対抗する「花巡り」などの演目が披露されており、その模様は幾度もテレビ番組などで紹介されています。
この「長崎獅子舞」は、豊島区内の郷土芸能として、1992年(平成4年)に豊島区の「無形民俗文化財」第1号に指定されています。
江戸時代中期(第7代将軍:徳川家継の時代)の1715年(正徳5年)には、神仏習合(「神社はすなわち寺である」という考え)により、隣接する真言宗豊山派の「金剛院」(山号:蓮華山)が『長崎神社』を管理するための別当寺となり、1868年(明治元年)の神仏分離令が発令されるまで続いています。
神仏習合期の『長崎神社』は、「十羅刹女社(じゅうらせつにょどう)」と称されており、現在も境内に「十羅刹女」と刻まれている1733年(享保18年)に奉納された「手水鉢」が名残として保存されています。
「十羅刹女」は、仏教の「妙法蓮華経陀羅尼品(みょうほうれんげきょうだらにほん)第二十六」に登場する初めは人の精気を奪う10人の鬼神であり、後に「鬼子母神」らとともに仏の説法に接し、お釈迦様に法華経(妙法蓮華経の略)の信者を護ること誓い、鬼神から善神になったといわれます。
神仏分離令の発令がされた後の1872年(明治5年)に村社と定められ「十羅刹女」に代わり大宮の武蔵一宮「氷川神社」の分霊として「八岐大蛇(やまたのおろち)」を退治し「八岐大蛇」の生贄になろうとしていた「櫛名田比売命」を救ったとされる「須佐之男命(すさのおのみこと)」を合祀り「氷川神社」と呼ばれましたが、1874年(明治7年)には『長崎神社』と改称し長崎村の総鎮守として現在に至っています。
『長崎神社』は、西武池袋線「池袋駅」から各駅停車で一駅目の「椎名町駅」北口からおよそ50メートルの駅前です。
普段は街中のひっそりとした神社ですが、元日の昼頃は初詣の参拝者で大行列のできる神社です。
今回は、元日午前中の早い時間帯に初詣で立ち寄りましたので行列も大したことなく参拝することができました。
『長崎神社』の境内はそれほど広くありませが大木があり、木で覆われている本殿は1849(嘉永2年)に建立、拝殿は1899年(明治32年)に建立されたもので歴史を感じさせます。
拝殿の左脇には商い・産業の神として「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」を祀る「小柳稲荷神社」、右脇には日清・日露戦争から大東亜戦争までの長崎地区における戦没者781柱を祀っている「長崎招魂社」、そのほか境内に神楽殿と旧社殿を利用したという額堂があります。
「長崎獅子舞」の祭儀にあわせてまた訪れてみたいと思います。
また、9月第2週土曜日・日曜日に開催される『長崎神社』例大祭は、数多くの露店が出店して賑わいがあり盛大に開催されるのでお薦めできる秋祭りです!
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 椎名町駅北口の駅前です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 普段はひっそりとしていますが正月と秋の例大祭は、賑わいがあります。
- バリアフリー:
- 3.0
- 境内に石段があります。
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2019/02/10
いいね!:7票
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