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二所ノ関勝巳墓 施設情報・クチコミに戻る

貴乃花部屋の源流、二所ノ関一門興隆の祖である佐賀の花勝巳のお墓が練馬にあったとは。

  • 3.5
  • 旅行時期:2018/11(約6年前)
ワンダラーさん

by ワンダラーさん(男性)

練馬 クチコミ:84件

今年潰された貴乃花部屋の源流は二所ノ関一門だが、その興隆の祖である佐賀の花勝巳のお墓が練馬にあったとは驚き。新興勢力を一大一門に成長させた力士・親方の墓としては地味に感じた。

場所は、西武豊島線と都営大江戸線の豊島園駅のすぐ東側、浄土宗十一ケ寺というお寺の集積地のさらに東隣の十一ケ寺合同墓地の迎接院(こうじょういん)墓地部分の入口角にある北村家(本名)墓地。(案内板はないが入口に一番近い所)

佐賀の花勝巳は戦前の1934年(昭和9年)から1952年(昭和27年)引退まで相撲を取っており、最高位は大関とされるが、引退後、名門の二所ノ関部屋八代目の親方となった。
親方在任中に弟子を育て、次々と独立させ、二所ノ関一門興隆の祖となった。昔は同門では対戦がなかったので、一門の力士が多いとさらに有利だったのであろう。

二所ノ関部屋を親会社の本社とすれば、分家した芝田山部屋や湊川部屋や片男波部屋、大鵬部屋は子会社で、芝田山部屋から変わった花籠部屋から独立した二子山(初代若乃花)部屋は孫会社に当たる。一門からの横綱力士の輩出も数多く、一時は一大勢力であった。
二子山部屋から生まれた藤嶋(12代貴ノ花)部屋が、今年協会を破門された貴乃花部屋の始りだが、一門の団結がなくなったのでは、お墓の中の佐賀の花勝巳も、さぞかしがっかりであろう。

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.5
人混みの少なさ:
5.0
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2018/11/04

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