明治中期の文学界を主導した硯友社の社屋の跡が、九段にあります。
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- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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by さいたまさん(男性)
市ヶ谷 クチコミ:71件
明治中期の文学界を主導した硯友社の社屋の跡が、九段にあります。
靖国神社の入口の北側で、九段下から、中坂を昇りきった付近にあります。
硯友社は、尾崎紅葉を始めとする4名の文学を愛する同人たちが中心となり、文芸活動に打込むための団体でした。
我楽多文庫と名づけられた文庫本を基に、交流が深まり、文学家の糾合の核となっていきました。
明治20年代の文学活動の中心的な役割を果たしていましたが、その後の紆余曲折を経て、尾崎紅葉の死の後、急速に勢いが衰えました。
硯友社の活動は、尾崎紅葉の働きにより支えられていたようで、尾崎紅葉亡き後の硯友会の見るべき活動は無くなったようです。
今回、硯友会跡を訪れて印象に残ったことは、現在にも共通することですが、組織体の核心は、一握りの人物に集約されるという現実です。
もう1点としては、和洋洋裁女学校との関連です。硯友社跡は、現在、和洋洋裁女学校の校舎となっています。今後、明治の中期に黎明の時期を持つ和洋洋裁学校とのつながりを解き明かしたいと思っています。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2018/04/24
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