東京府立第4中学校発祥の地の石柱碑が、目白通りの東側に、立てられています。
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- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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by さいたまさん(男性)
神楽坂・飯田橋 クチコミ:56件
東京府立第4中学校発祥の地の石柱碑が、目白通りの東側の歩道に、立てられています。
東京府立第4中学校としての開校は、明治34年(1901年)です。
発祥の地としての石柱碑が、立てられていますが、校舎等の施設は、その以前から、国学研究の機関たる皇典講究所の敷地内にありました。
即ち、施設等は変わりませんでしたが、名称が、補充中学校~共立中学校~東京府城北尋常中学校と、変って、東京府立第4中学校となったものです。
その後, 東京府立第4中学校は、 明治37年(1904年)に、市ヶ谷加賀町に移転し、場所も変わりました。
戦後は、新宿区戸山町に移り、東京都立戸山高等学校となっています。
明治維新の後の近代国家への発展のためには、教育の充実が最も重要であり、東京府立第4中学校の果たした役割は、大きいと思われます。
特に、旧制中学校への進学者が、必ずしも多くなかった時代において、東京府立第4中学校の学生に対する期待は、大きかったものと推測されます。
このため、石柱碑の建設に結びついたものと理解することができます。。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2018/04/13
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