藍染川 梅壺侍従の蘇生の碑 お謡 藍染川の舞台
- 4.0
- 旅行時期:2016/02(約10年前)
-
-
by konomiさん(女性)
太宰府 クチコミ:40件
光明善寺から徒歩3分くらい。
とてもひっそりとした所です。
綺麗な水が流れているけれど、なんということのない川です。
が・・・・伊勢物語、後撰和歌集、拾遺和歌集に「藍染川」の名で十数種の古歌にうたわれているほか、謡曲「藍染川」の舞台になった所。
お能やお謡をなさる方には特に印象深いところではないでしょうか。
太宰府天満宮の神職、中務頼澄(なかつかさよりずみ)は修業のため京の都に上り、そこで妻がいる身でありながら天皇のそば近くに仕えていた女官、梅壺侍従と恋仲になり、梅千代という男の子が生まれます。
しかし、頼澄は修業が終わると大宰府に帰らねばなりませんでした。
梅千代に父の顔を見せてあげたい一心で、旅ができるほどに梅千代が成長すると、梅壺母子は太宰府へ向かいます。
子供にはつらい旅。梅千代も父会いたさで、やっと京都から大宰府につきました。
梅壺は宿の主人に頼澄あての手紙を届けるよう頼んだのですが、この手紙が頼澄の妻の手に渡ってしまいます。
心穏やかではない頼澄の妻は、頼澄の名をかたり、偽の返事の手紙を届けます。
頼澄に疎ましく思われていると誤解した梅壺は悲しみのあまり、梅千代を残して藍染川に身を投げました。
一人残された梅千代が母の身体にとりすがって泣いているところに偶然、頼澄が通りが刈りました。
梅千代の持っていた遺書から全てを知った頼澄は、梅壺の蘇生を天満天神に祈りました。天神様の恩恵により梅壺は生き返りました。
その蘇生の場所が、この地だといわれています。
梅千代は長じてのち、光明寺を開設したと伝えられています。
この物語は室町時代の絵巻「つきしま(築島物語絵巻)」にも描かれているそうです。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2016/05/24
いいね!:2票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する