亀山上皇銅像
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- 旅行時期:2016/01(約10年前)
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by konomiさん(女性)
博多 クチコミ:792件
亀山上皇(亀山天皇)の院政中には2回の元寇襲来がありました。
朝廷は神社に異国降伏の祈願を行ないましたが、亀山上皇は「わが身を持って国難に代わらん」・・・・と、自ら伊勢神宮に赴き祈願するなど積極的に活動されたのだそうです。
父の後嵯峨天皇母の中宮・西園寺姞子(大宮院)から溺愛され、兄の後深草天皇から皇位を譲り受ける形で即位しました。
気に入っている息子を皇位につけたかったのですね。
しかし、これが皇統が2つに分かれる結果になったわけです。
蒙古襲来により炎上した筥崎宮社殿が復興されたとき、亀山上皇は敵国降伏の宸筆を納めましたが、現在、筥崎宮の楼門に掲げられている額「敵国降伏」の文字は、この宸筆を拡大して写したものなのだそうです。
(楼門が作られたのは江戸時代)
博多にとっては大恩人と言える亀山上皇。
そういうわけで、以前は海岸線だった東公園の中に銅像が建てられたのだそうです。
高村光雲の門下、山崎朝雲の明治37年の作。高さは6mあります。
現在こちらにあるのは、レプリカで、本物は筥崎宮の奉安殿に置かれています。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2016/03/27
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