吉良上野介は、本当に意地悪ジジイだったのか
- 4.0
- 旅行時期:2016/03(約10年前)
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by ウェンディさん(女性)
両国 クチコミ:10件
忠臣蔵のお話は日本人が大好きな話で、そのお話を聞いたことが無いという人は殆どいないのではないかと思う。
その忠臣蔵に縁の場所が両国にはある。
東京・両国の本所松坂町公園。
そこは忠臣蔵のクライマックスシーンの舞台となった吉良邸があった場所で、赤穂浪士たちが打ち取った吉良上野介の首を洗った井戸:首洗いの井戸が現在も残されている。
ここは、歴史的にも興味深い場所なのだが、せっかく訪れるならば、忠臣蔵のお話のおさらい、そして可能ならば、少しだけ史実に近い部分を知ってから行く方がより興味深く眺められると思う。
忠臣蔵のお話は、いじわる爺さんである吉良上野介と、若い実力派の殿さまである浅野内匠頭のお話だ。
狡猾ないじわる爺さんであった吉良上野介は若い浅野内匠頭の実力に嫉妬し、意地悪をして、浅野内匠頭が将軍の前で恥をかくように罠を掛けた。
それに怒った浅野内匠頭は、抜刀禁止の江戸城の中で刀を抜き、吉良上野介に切りかかり、幕府からその日のうちに切腹を命じられた。
一方的に切腹を命じられた浅野内匠頭に同情した赤穂藩の武士達は、その1年半後に吉良邸に討ち入りし、吉良上野介の首をとった…。
でも、これはあくまでも忠臣蔵…と云うドラマでのお話だ。
実際の吉良上野介は、どちらかというと、頭の回転の速い男性で、民衆の事を第一に考える民からも慕われているお殿様というのがその実像であったようだ。
一方の浅野内匠頭だが、こちらの方に関しては大した情報は残されていなく、多分だが、浅野内匠頭は何処にでもいるような比較的普通のお殿様だったのではないかと思われる。
そうすると、忠臣蔵を巡る実際のお話は↓な感じだったのではないかと想像できる。
頭の良い人生経験の豊かな吉良の爺様と、ソコソコ普通の人であった浅野の若殿様がいて、その二人に将軍の接待役が命じられた。
将軍の接待に命じられた二人の経験値には、明らかな差があった。
吉良の爺様に悪気があったわけではないだろうが、自分に可能な事はもう一人の接待役にも可能だろうと思っていたので、浅野の若様にはたいしたアドバイスもしなかった。
一方の浅野の若様は初めての大仕事に緊張でガチガチになり、何をしたら良いのかがさっぱりわからない。
でも、赤穂藩の代表であるというプライドの塊である浅野の若様は、年長者の吉良の爺さまにアドバイスを求めることもなく自分が良いと思う方法で場をしきってしまい、結局、それが将軍の前での大きな失態へと繋がってしまった。
他の重鎮の前で恥をかかされた浅野の若様は、この失態は自分のミスが原因である…と云う事を認めたくはなく、逆恨み的な形の怒りを吉良の爺様に向け、それが松の廊下での事件につながった…。
でも、こんなお話を芝居にしても、ただの我儘坊やの話になってしまうし、更に盛り上がりにも欠け、何より脚本家としての名が廃る…と云う事で、幾人もの脚本家がその腕を競うように人情味豊かな様々なバージョンの忠臣蔵の情景を描き、それが現代へと伝わっているのだろう。
せっかく吉良邸跡へと行くならば、物語としての忠臣蔵以外にも史実としての本当のお話を知っている方が、史跡を楽しめる…のではないかな。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 両国駅から徒歩10分以内
クチコミ投稿日:2016/03/15
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