悲劇的な最期を迎えた親王 山の辺の道 ?
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- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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by ガッサンさん(非公開)
奈良市 クチコミ:35件
早良親王(さわらしんのう)は実兄の桓武天皇が即位したのに伴い、皇太子に選ばれました。ところが、延暦4年(785)、桓武天皇の右腕として長岡京の造営に尽力していた藤原種継の暗殺事件が勃発。この事件に関与したとして、皇太子を廃され、淡路国へと流されます。
身の潔白を訴える親王は飲食を断ち、淡路国におもむく途中で絶命したのでした。その遺骸は淡路国に埋葬されるものの、親王に代わって皇太子となった小殿親王(後の平城天皇)の発病や宮廷関係者の立て続く死など、親王の薨去後に災いが次々に発生。親王の怨霊を怖れた朝廷は、延暦19年(800)、親王に「崇道天皇」の尊号を追贈するとともに、陵墓も大和国に移しました。つまり、天皇に即位していないのに天皇の称号をいただいている理由は、悲劇的な最期を迎えた親王の怨念を怖れてのものであった、という。
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
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- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/11/02
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