明治の礎が築かれた場所がここなんですよね。
- 5.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
-
-
by ねいちゃさん(男性)
萩 クチコミ:2件
吉田松陰先生が約90名もの塾生を育てた場所。
彼ら塾生はその後、明治新政府を樹立し、日本近代史に大きな足跡を残します。
旅行記では、そのあたりを紹介していますので、クチコミでは少し違った側面で塾生たちを見て見ましょうか。
・吉田稔麿が、「放れ牛と烏帽子と木刀に棒切れ」の絵を描きました。
山県有朋が「それは何だ」と尋ねると、稔麿は「高杉は俗事にこだわらない俊才で、
誰もつなぎとめることはできない、これは、野に放たれた牛のようなものである」
「久坂玄瑞は雰囲気が立派なもので、烏帽子をかぶらせ、大きな屋敷に座らせれば絵になるだろう。」
「入江九一は、(彼らに比べれば)少々劣るところもあるが、まあ木刀くらいのものではある。
斬ることはできないが、脅しには使える」。
そこで有朋は「残りの棒切れは?」と尋ねると、「それはお前だ、凡庸で何のとりえもない」と答えたといいます。
・元勲となった伊藤博文に吉田稔麿のことを尋ねると、博文は恐れ多いと言う態度を示し
「どうして比べることができようか、全く天下の奇才であった」と答えたといいます。
・西郷隆盛が木戸孝允に対して、「お国の久坂先生が今も生きて居られたら、
お互いに参議だなどと云って威張っては居られませんがなア」と言ったといいます。
ホントの俊才は早期に亡くなった久坂や高杉や吉田で、残りの人々は比較にならなかった人たちでした。
明治新政府は(こういっては失礼ですが)その足下に及ばない人々が作り上げたものなんですよね。
松下村塾を見て、何だかなぁ~というのが正直な感想でした。(笑)
- 施設の満足度
-
5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2015/08/29
いいね!:3票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する