真田幸隆の城
- 5.0
- 旅行時期:2015/04(約9年前)
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by bluejaysさん(男性)
真田・東御 クチコミ:1件
天文年間に真田幸隆が築いたといわれる。
1541年、武田信虎・村上義清・諏訪頼重が海野平に侵攻すると、海野棟綱とその子真田幸隆は小県を棄て、上野に逃れた。幸隆はその後武田晴信に帰属し、1550年の戸石城攻めに際し、旧領小県と諏訪の所領を約束された。武田軍はこのときは大敗したが、翌年幸隆は独力で戸石城を乗っ取り、小県の旧領を回復した。
幸隆の死後は信綱が跡を嗣いだが、1575年の長篠の合戦で戦死し、真田家は幸隆の三男昌幸が相続した。1583年に昌幸が上田城を築くと、真田本城は廃城となった。
長のバス停から30分以上歩く。かなりハードな登山。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 1.0
- 登山
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
クチコミ投稿日:2015/08/20
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