名古屋城下の基として
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- 旅行時期:2015/07(約10年前)
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by JBさん(非公開)
名古屋 クチコミ:1件
真言宗智山派 別格本山 北野山 真福寺 宝生院 本尊:聖観音菩薩
14世紀(1333か1366年)に後醍醐帝から北野天満宮の別当職を拝した僧能信が、尾張国中島郡長岡庄大須(現岐阜県羽島市)にあった中島観音堂を真福寺として開山した。以後、日本三観音のひとつとして庶民の厚い信仰を受けると共に、15,000の真福寺(大須)本と呼ばれる古典籍を蔵することで有名。中でも1372年に賢瑜によって写された伊勢本系統の真福寺本古事記三帖(国宝)は、古事記で現存最古の写本。
1605年の洪水では、避難させた本尊と古文書以外は堂塔の全てを流失。貴重な典籍が失われることを憂いた家康が、それらを名古屋城下に移すことにした。
その際の政治的配慮を窺わせる逸話が以下。
‐観音さまを船に載せ名古屋に向け進むが、一夜明けて気が付けば大須の湊に戻っている。何度も…。困った関係者の夢枕で「護ってきた大須を離れるのは心残りでならない。皆が困るというのなら名古屋に行くが、せめて行く先の地名を大須に変えてはもらえないか」と観音様がささやいたそうだ。‐
この話は即座に公儀へと…。名古屋の移転地を大須に改名することで、大須に残る村人や共に移転する村人も了解した。
真福寺の一院だった宝生院が経蔵と共に名古屋城下に移転(大須観音)し、水難から同地を護るためか真福寺自体は1964年まで同地に残された。現在は同様に水害地を護ってきた徳林寺に隣接する岐阜県羽島市桑原町大須2759-131に移っている(現地は未確認)。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
クチコミ投稿日:2015/08/04
いいね!:3票
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